

安中教会
1878(明治11)年、新島襄が湯浅治郎ら30人に洗礼を授け、設立された県内初の教会。現在の教会堂は1919年、新島の没後30年を記念して建てられたもの。当初は湯浅の私設図書館「便覧舎」で礼拝を行っていた。
本県からは新島襄(1843―90)、内村鑑三(1861―1930)ら、日本におけるキリスト教思想の先駆者が生まれた。
鎖国政策の下、危険を冒して渡米した新島は、アマースト大学やアンドーバー神学校で学んだ。帰国後は伝道に尽力するとともに、京都に同志社英学校(現・同志社大)を設立した。内村は教会員でなくとも信者たることは可能で、純粋な信仰によってのみ救済されるとする無教会主義を掲げた。足尾鉱毒に苦しむ被害民の救済や、日露戦争に反対する非戦論を訴えた。
新島が洗礼を授けた湯浅治郎(1850―1932)は安中教会設立の中心人物。同教会牧師の柏木義円(新潟県出身、1860―1938)や、内村の親友で甘楽教会牧師の住谷天来(1869―1944)も非戦論を展開した。天来のおいの住谷悦治(1895―1987)は第14代同志社大総長を務めた。

共愛学園高校
県内キリスト教徒が協力して設立した、県内最古の女子教育機関。その1日は、全校生徒が一堂に会する朝の礼拝で始まる。語学教育に携わった宣教師の住居、旧アメリカン・ボード宣教師館が敷地内(写真上)にある。
初期に入信したのは、養蚕・製糸業に携わる地域の有力者だったとされる。欧米の優れた技術を学ぶ中、彼らはその背後にあるキリスト教精神を受け入れ、都市から山村まで各地に教会が設立されるに至った。上州のキリスト教徒たちは全国に先駆け、廃娼運動や女子教育に取り組んだ。湯浅は県議会議長や国会議員を歴任し、廃娼運動を推し進めた。共愛学園(前橋市小屋原町)の前身は、1888(明治21)年に設立された前橋英和女学校。女子教育機関では県内最古の歴史を持つ。
同校の設立発起人には新島や湯浅らをはじめ、そうそうたるメンバーが名を連ねた。本県キリスト教の特色に、諸教派の教徒が伝道や生活において協力、団結していることが挙げられるが、同校の設立と運営はその典型とされる。
県立歴史博物館専門員の手島仁さんは、上州人の寛容な宗教観がこうした協力を生んだとする。また、その寛容は開放的でおおらかな気質のたまものであり「国際化の時代にこそ、群馬県人は活躍できるのではないか」と話している。