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和算 教育普及、近代化に貢献

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八幡八幡宮の算額
1860(安政7)年、中曽根宗(むねよし)一門が奉納。「関流宗統八伝(関孝和から8代目)」の文字が見える。同神社には現存する県内最古のもの(非公開)を含め、ほか2枚が奉納されている。県指定重要文化財。

 県内の寺社仏閣で算額を見かけることがある。算額は数学の問題と解答を木製の額に記し、難問が解けたことを感謝して奉納したもの。研究発表の側面もあり、記された問題を研究し合って内容の優劣を競う奉納合戦も行われたという。江戸時代中期ごろから全国的に流行した。
 ここでいう数学は“和算”のこと。和算は日本独自の発展を遂げ、西洋より高いレベルに到達していた部分すらあった。しかも一部の知識層だけでなく、庶民も暮らしの中で活用していた。
 和算を語るとき、現在の藤岡市出身とされる関孝和(1640ごろ―1708)の名は欠かせない。関が算聖と呼ばれる最大の理由は、1674年に著した「発微算法」で、傍書法と呼ばれる筆算による新たな代数方程式を仕立てたこと。算木やそろばんで不可能だった計算が扱え、和算の飛躍的な発展を促した。ほかにも関の業績は数多い。特に行列式の発見は、西洋で初めて導入したライプニッツに先んじている。
 関と弟子らによる研究成果は関流として確立され、各地に広まった。上州でも石田玄圭や小野栄重ら系統を継ぐ和算家が普及に努め、さらに多くの和算家を輩出した。「例題で知る日本の数学と算額」(森北出版)によれば、本県には復元を含めると80枚もの算額が現存する。当時の隆盛がうかがわれる。

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榛名神社の算額
1811(文化8)年、石田玄圭一門が奉納した。門人8人が1題ずつ算題と解答を記している。石田は現在の前橋市で和算を指導した開業医。県指定重要文化財。現在は高崎市榛名歴史民俗資料館が保管している。

 和算家は、教育や数学的知識が必要な分野の指導者でもあった。小野は伊能忠敬の測量隊に参加し、三角法による測量術を門下生に広めた。多くの和算塾は学校整備が不十分な明治初期、公立教育を受けられない人たちの受け皿になった。
 小野の一門に連なる中曽根宗(むねよし)は「測量全書」「生糸計算表」「要領利息算法」などを出版し、多くの人たちに利用された。農業指導者として知られる船津伝次平も和算を学んだ1人。和算自体は明治以降、西洋式数学の浸透とともに廃れたが、その伝統は近代化に大きな役割を果たしたといえる。

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全日本珠算競技大会
藤岡市生まれとされる関孝和の偉業をしのび、その名を冠して毎年開催している。今年で58回。同市では2006年度から、小学校が講師を招き、授業や放課後にそろばんを指導する「そろばん教育」も導入した。