

スバルビジターセンターで紹介されている富士重工業のあゆみは本県産業の歴史ともいえる
本県は明治以降、日本の近代化、工業化をリードした製糸や織物業で発展。軍需工業産業を経て、鋳造、鍛造、プレス加工、機械組立など、製造業を中心とする全国有数の工業県といわれるようになった。これを背景に、地元業界の要望などで工業教育にも力を入れてきており、現在の各工業高校をはじめ、群馬大工学部、前橋工科大、群馬高専など教育環境が充実。本県の誇るべき「ものづくり」を支える多くの人材を育成している。
本県の工業教育が始まったのは、染織技術向上が目的だった。伊勢崎工業八十年史などによると、伊勢崎織物業組合による染織講習所が1886年設立。1901年には県立学校となったが、日露戦争による県費節減で廃校。10年、工業技術振興のため県内唯一の「県立工業学校」として開校した。
23年に市立前橋工業が、34年には県立桐生工業が誕生した。後の群馬大工学部となる桐生高等染織学校は15年にスタートしている。

工業県の礎を築いた富士重工業のスバル360などの車両(太田市庄屋町の矢島工場内スバルビジターセンター)
その後開校した高崎工業などは機械、電気科が設置されるなど、時代の要請に応じた学科が設けられた。工業高校、工業系併設高校は現在14校だが、工業教育の起源となった染織に関係する学科が残るのは唯一、桐生工業高校のみという。
元伊勢崎工業高校長の森村宏さんは「群馬の工業教育は地盤があったから発展した。ものづくりの県に住むのだから、子供のころからものづくりの考え方を持ってほしい」と、理数科離れによる「ものづくり」の衰退が日本全体の問題となる中、“先進県”を担う世代に訴える。

富士重工業が生産した戦後初の国産ジェット機
(太田市庄屋町の矢島工場内スバルビジターセンター)
戦前、戦中と太田を拠点に発展した旧中島飛行機(17年創業)は本県の工業県としての礎を築いた。数々の名機を生み出した巨大航空機会社は敗戦でその名を消したが、太田、伊勢崎、宇都宮など各地の旧中島飛行機グループ6社が再連合し富士重工業が53年に誕生した。
航空機生産を事業目的としてスタートしたが、自動車市場にも参入。スバル360をはじめ、レガシィ、インプレッサなどの名車を世に送り出しているほか、航空宇宙関連、産業機器などの事業を展開する。それとともに、旧中島飛行機の流れをくむ技術者などによる金型や部品メーカーなども成長した。現在まで飛行機づくりではぐくまれた「ものづくりへの精神」が受け継がれている。