1953年、榛東村生まれ。東京大学教養学部フランス科卒業と同時に父が営む岡部養豚(本社・榛東村)に入社。89年、35歳で代表取締役に就任。2001年、オーケーコーポレーションへ社名変更。
自社のブランド肉「はるなポーク」は、動物性飼料を与えず、デンプンを多く含む芋や麦などを与えて育てている。自然環境のよい農場で育った健康な豚なので安心な上、やわらかでまろやかなおいしさが味わえる。
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シリーズ<4> 2006年10月18日掲載
空腹こそ、「1番の調味料」 だと思います。
オーケーコーポレーション代表取締役 岡部 幹雄 さん
この日は、自社ブランド「はるなポーク」の名にちなみ、榛名湖を訪れての取材となりました。あいにくの天候でしたが、雲の切れ間に姿を見せる榛名富士を望みながら、インタビューにお答えいただきました。
 ■ご飯がおいしい子供時代■
まず、子供のころについて伺えますか?
(岡部) もともと農家で、家で食べる野菜や米などは作っていましたが、そのころは養蚕が盛んでしたね。養豚は自分が小学2、3年生のころ、庭先で始めたのが最初です。
どんな食生活でした?お肉はよく食べていましたか?
(岡部) 当時は、肉はあまり食べなかったですね。魚も生のサンマなどはなくて…「ひらき」とか。宴会料理で刺し身が出るぐらいですね。印象に残っている食事は、おふくろがシチューを作ってくれたことです。シチューといっても、肉無しだったかもしれませんけど。珍しいなあと思いましたね。それと、おばあさんが作ってくれたおっきりこみ。榛東村の農家は、朝はご飯で、昼はうどん、というのが比較的多かったんじゃないかなと思いますね。
よく食べる元気のいいお子さんだったのですか?
(岡部) なんでもよく食べましたよ。今、体重は52、53キロですが、小学6年生のときは50キロありました。一番太っていたのは高校1年生で70キロぐらい。そのころ、うちは養豚業を始めていましたからお肉も食べたし、ご飯がおいしくて、バクバク食べていました。中学校の同級生から、「変わった人、1番!」と言われています。
 ■フランス語を学ぶ■
大学は、東京大学ですよね。何を専攻されたんですか?
(岡部) 教養学部でフランス語を学びました。「フランス語で卒論を書けば、何やってもいい」というところでした。特に「これをやりたい!」ということじゃなくて、なんとなく入った感じですね。
でも、フランス語は堪能だったんですよね?
(岡部) 一時は、普通の会話ぐらいはできましたけど、今は、うーん。留学はしなかったけど、短期で1カ月ぐらい(フランスに)行ってきました。
大学で学ばれたことと今日はどう結びついたのでしょうか?
(岡部) 特に、結びつきませんね(笑)。まあ、農家で、長男坊でしたから。「農業をやろう!」という強い意志もなかったけれど、就職して何かやろうという気もなくて。フランス語の本を読むなら「田舎でも読めるかなあ」と思って帰ってきました。でも、32、33歳ごろから、時間がなくて読まなくなりましたね。最近は、戦後60年ということで、戦中戦後のいろんな本を読んでいます。
 ■1頭の母豚から50頭■
卒業してすぐ家業を継がれたということですが。
(岡部)

おじいさんは野菜や米を作っていましたけど、親父は養豚を主体に行っていました。

岡部さんが代表取締役になったのはいつごろですか?
(岡部) 平成元年、35歳のときですね。そのころは、会社の経営もそんなに良くなくて…。今は養豚だけですが、当時は肉の販売もやっていて経営の足を引っ張っていました。昭和64年に昭和天皇が亡くなり、なんとなく世の中全体がお弔いのムードになって。そのとき、「あー、こりゃ、だめだな」と食肉センターを閉め、養豚だけにして、自分が社長になりました。
御社の農場は、赤城と中之条に全部で3カ所ありますが、どのくらい豚がいるのですか?
(岡部) 豚の場合は、親豚の頭数で数えるんですが、母豚が1800頭ぐらい。子豚と母豚、それから肉になるちょっと手前の豚を合わせると、全部で大体2万頭ぐらいです。
1頭の母豚は1度のお産でどのくらい産むんですか?
(岡部) だいたい11頭ぐらいですね。5回ぐらいお産をするので、一生涯に平均して50頭ぐらいでしょうか。順調に育つのはなかなか難しくて、うちの場合、最終的に肉になるのは8割程度ですね。凍え死んでしまったり、母豚の下敷きになってしまうことも多いんです。
 ■地産地消の「地」のとらえ方■
養豚業の課題や今後の展望についてお聞かせください。
(岡部) 食の安心安全が叫ばれる中で、野菜だと農薬を使わないとか、作物によって使える農薬が決まっているとか、ポジティブリストがありますね。養豚もその対応が大変です。野菜でいう無農薬と同じで、家畜についても薬をやらないという感覚があります。でも、人間の場合、風邪をひけば風邪薬を飲むように、動物も生きものなので完全に投与しないというのがいいのか…。安心安全でおいしい肉作りのため、抗生物質などが体内に残留しないように基準を守って使うことが大事だと思います。
日本の農業について、思うところはありますか?
(岡部) 最近は定年帰農もありますが、農業をなりわいとして子供を育てるということは、かなり大変なんです。今、農業というと、地産地消とか、食料自給率の話が出ますが、地産地消という狭い流通の中で農業をやるのは、自分としては違和感を感じます。米も野菜も養豚も、生活するには、ある程度の量を作って広域に流さないとやっていけません。一口に農業といっても、一仕事終わった方がやる農業と、事業としてやる農業はちょっと違うんじゃないかなと思います。
また、地産地消の「地」の面積のとらえ方が、人によって随分違うなと感じています。群馬県が地産地消と言うときは県全体のことを意識していると思うし、榛東村なら村内を意識していると思う。それぞれが都合よく解釈しているから、うまくいっているのかなと思います。実際は、地元で消費されるよりは、首都圏で消費されるほうが多いですね。
食料自給率についてはいかがですか?
(岡部) 食料は人間の体のエネルギーだと思いますが、日本を動かすエネルギーというのは、やっぱり石油などの資源だと思うんですよ。今は、流通が広域になっているので、食料が生産できても、車が動かないと運べない。確かに食料自給率を高めることは必要かもしれないけれど、それよりは円滑に貿易ができる仕組みを作ったほうがいいと思うんです。特に畜産の飼料はほとんどが輸入。豚の場合、9割が輸入です。厳密には自給率に数えていいのかどうか、疑問なんですね。
それと、農家も今は専業化しています。自分も養豚だけですから、野菜や米の作り方は知りません。農家が専業になり過ぎてしまっている…そんな気がしないでもないですね。でも、そうしないと事業としてはやっていけない世の中になっています。豚はかわいいし、農業は魅力ある仕事ですが、やり方が大事だなと思います。
 ■残さずおいしく食べる■
今の日本人の食生活についてはいかがですか?
(岡部) 自分が子供のころは、健康になるために「出されたものは残さず食べましょう」と言われてきましたけど、今は、「勇気をもって残しましょう」となっています。自分の感覚とは違うなあと思いますし、抵抗感がありますね。お店でも食べきれるものしか頼まない、というのが一番だと思いますね。
もうちょっと、こうなったらいいなと思うことは?
(岡部) 残さず食べるということ。今は、「おなかがすいたからご飯を食べる」ということがあまりないように思うんですね。時間になったから、「飯、食うか」という感じで。間食も多いし、ほとんど移動が車だから体も動かさないですしね。
食事では、どんなものをよく食べますか?
(岡部) 豚肉も食べますが、野菜も多いですね。豚肉は揚げたり、焼いたり、いためたり、いろいろな料理がありますが、いつも野菜と一緒ですね。うちは、家内の両親も合わせて4人とも親が元気。もともと“百姓”なので、野菜を作ってくれています。
最近、うまい!と思ったものは何でしょうか?
(岡部) 1番、うまい!と思ったのは、キュウリの漬け物。手作りのぬか漬けのキュウリですね。2番目はトンカツ!と言いたいところですが、枝豆の方が好きだなあ(笑)。それから、豆腐。揚げ出し豆腐が好きなんですよねぇ。居酒屋でも豆腐サラダとか頼んじゃいますね。居酒屋は鶏肉料理はあるけど、豚肉・牛肉料理って比較的少ないですよね。
最後に、みのりくらぶの読者にひと言、お願いします。
(岡部) できるだけ残さないで食べてもらいたい。それからおいしく食べてもらいたいです。そのためには、空腹が一番の調味料です!
「空腹が一番の調味料」。いい言葉ですね!ありがとうございました。

(聞き手 上毛新聞社広告局次長兼編集部長 吉島一江)