うちは、明治時代から米屋だったんです。大正に入ってから昭和30年代前半ぐらいまで、製麦もやっていました。麦も真っ白い「白麦(はくばく)」という米に似た麦ではなくて、昔ながらの線(フンドシ)の入った「押麦」を、今でも食べています。私どもの関連商品でもあるし、繊維質も多い。尾島を中心とした特産物にヤマトイモがありますが、麦とろ飯にするなら、白いご飯より麦飯の方がずっとおいしいですよね。 もともと群馬県は、米文化ではないんです。お米というのは本当に貴重で、むしろ麦や雑穀類を主食としていました。うちの先祖は、麦を東北地方に輸出していましたが、東北の人たちは米を関東に売り、普段は麦を食べていたんですね。それを生業(なりわい)としていたのが、うちのルーツです。群馬県の人が、米を食べるようになったのは、ごく近年になってからだし、白いご飯が食べられるようになったのは、昭和31年に経済白書が出されて、「もはや戦後ではない」という有名な言葉がありますが、その辺りからではないでしょうか。昭和33年ごろに即席めんが世に出てきて、それから日本は高度経済成長期に入った。白いご飯を食べる食習慣としての歴史は非常に浅いけれども、小麦の産地としては全国的に有名でした。
歴史をひもとくと、われわれの業界のトップは、日清製粉です。館林に日清製粉の発祥の地があり、今はなくなってしまったけれど高崎の駅前に日本製粉と日清製粉があり、太田に昭和産業があり、大間々に星野物産、そして前橋に私どもの曽我製粉がありました。いずれも原料である群馬県の小麦を手に入れやすい土地に工場を持っていた。ドイツでもそうですが、基本的にはそこで取れた原料を調達して、製粉して、加工するという循環型の農業が昔からあった。それを、今流にいうと、「地産地消」ということになるんでしょうね。 なぜ、地産地消が叫ばれるようになったかというと、一つには、戦後、豊かになって高度経済成長期に入った日本は、工業製品を世界に輸出し、逆に食料品を輸入するというパターンが多くなり、食料自給率は40%となってしまった。あまりにも、輸入品が多くなったために、農業も姿を変え、食生活は巨大な食品メーカーが全国を席巻する、ナショナルブランドの食に変わってしまいました。それをもっとエスカレートさせたのがコンビニエンスストアの出現。ふるさとの味とか、おふくろの味が一時期忘れ去られてしまったんですね。 そうした中で、バブルが崩壊したり、いろいろな病気も出てきたり、経済一辺倒のつけが回ってきた。BSEの問題や中国のホウレンソウの残留農薬の問題、ナショナルメーカーの偽装表示など国民の信用を揺るがす諸事件が立て続けに起きました。消費者としては、確実に安全性を確保したものを食べたいというニーズが、揺り戻しとして起こっているのが今の時代だと思いますね。 その中で、私どもは何をしているかというと、輸入だけに頼るなら、何万トンの船が着く港に工場を移転した方が、ずっと採算に合うわけです。大手は昭和50年を境に群馬県から撤退し港に移ってしまった。今、残っているのは、私どもと星野物産の2社です。私たちは、先祖がお世話になった群馬県の地に足を着けて、ナショナルブランドではなく地場産業としての製粉が必要ではないか、それが今の時代の流れに合っているのではないか、という経営戦略を立てて、これまでやってきています。
私の持論は、「食は非常に保守的である」ということです。朝食をご飯・みそ汁から完全にパンに切り替えることは難しい。昭和60年代に大凶作があったときは、さすがに朝食をパンにしようという家庭が増えましたが、そういうインパクトがない限り、人様に言われて変えるものではない。まして、夕飯にパンを食べる習慣は日本にはないんですね。むしろ、ご飯とめん類とパンと、うまくバランスを取っているのが日本人の食生活と言えるのではないでしょうか?