鈴木伸一選

2014年12月25日上毛新聞掲載


家族との会話が部屋を暖めて
前橋東高1年 福田 智佳

【総評】11月27日付のこの欄で、季語がないことによって俳句が説明的なものになってしまった例を紹介しましたが、実は、その逆のケースもよく見られます。つまり、一句の中に季語が入り過ぎて、作品が説明的になってしまうというケースです。
 例えば、「冬到来肌寒いのであつ着する」(小5)という作品には、「冬」「肌寒し」「厚着」という三つの季語が入っています。もちろん、複数の季語を使ってはいけないということはありませんが、ただ、季語が三つもあると季語同士が互いを説明し合って、結果、作者の発見や感動を表現するスペースがなくなってしまう場合が多くなります。この句では、「冬が来たから」「ますます肌寒くなって」「厚着をした」と、どうしても説明的な印象はぬぐえませんし、ここに作者の発見や感動を盛り込むのは、スペース的になかなか難しいことだと思われます。
 やはり、俳句の世界で一般的に言われているように、一つの作品の中に季語は一つ(場合によっては、二つも可)というのがよいでしょう。そして、季語以外の部分で自分の発見や感動を表現し、その発見や感動を季語がさらに補足し、膨らませる働きをするというのが望ましいと考えます。
 そのためにも、みなさんには「歳時記」などで季語について学び、季語をしっかりと身につけていただきたいと思います。