鈴木伸一選

2015年4月30日上毛新聞掲載


春の雨明るいかみなりゴロゴロと
前橋永明小5年 品川  楓
【評】春は陽気が不安定になり、天気雨が降ったり、空が明るいのに雷が鳴ったりすることがあります。不思議ですね。
入学式とびはねまわる一年生
前橋永明小5年 三森 幹太
【評】「とびはねまわる」という表現がいい。元気過ぎるくらい元気な新1年生の様子が、ぱっと目に浮かんできます。
小鳥たち桜の上で始業式
沼田池田小5年 杉浦 夏希
【評】実際の始業式に合わせるように、桜の木で小鳥たちが盛んに鳴いています。鳥たちの始業式という発想が楽しい。
新学期明るく歩く一年生
前橋荒子小6年 堀越 充悟
【評】希望にあふれ、元気よく歩く1年生を見るのは、とても楽しいですね。最上級生らしい、優しい目を感じます。
春になりねむけもふっ飛ぶはん長だ
前橋駒形小6年 関口  凜
【評】登校班の班長になったのですね。これからは寝坊していられないという責任感を、ユーモラスに表現しました。
ろうかにはねこの足跡春のどろ
高崎新高尾小6年 飯塚 暖菜(かんな)
【評】ぬかるみを歩いてきた猫の足跡が、廊下に点々と続いています。それを、春らしい温かなユーモアで描きました。
春になり友達ふえてにぎやかに
東吾妻中2年 小平菜留美
【評】東吾妻中は、5校の統合で出来た学校。戸惑うこともあるでしょうが、新しい友だちと一緒に頑張ってください。
春風に胸が高鳴る校門前
東吾妻中2年 高橋 欧介
【評】新生東吾妻中の校門前に立ち、これからの学校生活に思いをはせます。「胸が高鳴る」という率直な表現に共感。
新学期つばめが校庭飛んでいる
前橋荒子小5年 江口 琢真
桜散る心の4年も散ってゆく
前橋永明小5年 柳岡 りお
春のアリよいこらしょっといそがしい
前橋桂萱小5年 山田 伊吹
春の風みんなの心を洗ってく
高崎国府小5年 塩原 りん
春の風春をここまでつれてくる
伊勢崎赤堀東小5年 田中 陽成
チューリップ春のサーカス楽しそう
沼田池田小5年 富沢 美波
春の風ぼくの背中で遊んでる
水上小5年 田村ゆうと
六年のまどから見える桜の木
前橋荒子小6年 青木 那奈
雨がふるさくらがぬれてひかってる
前橋永明小6年 井上 優子
6年はいろんなことでドキドキだ
前橋駒形小6年 中村 悠莉
水たまり素直に青空うつしてる
渋川中郷小6年 片野 誠夢(まなむ)
入学の朝はいつもと違う朝
前橋木瀬中1年 赤沢 杏奈
目を閉じて今日も聞こえる春の声
甘楽二中1年 加藤さくら
桜のね花びらちるなか素振りする
東吾妻中2年 一場 悠陽
春の空不安あっても晴れていく
東吾妻中2年 蜂須賀七海
春の風やさしい心ものせていく
東吾妻中2年 山口 友菜

【総評】前回のこの欄で高校生の質問に答えましたが、別の高校生から、「俳句を詠んでいると季語が二つ入ってしまうことがありますが、二重季語の良い点、悪い点は何ですか?」という質問もありました。
 これには、「良い悪いという観点からではなく、必然性があるかないかという観点から考えるべき」と答えておきます。
 具体例を挙げれば、「方丈の大庇(おおひさし)より春の蝶」(高野素十)という有名な句がありますが、この場合、「蝶」は春の季語なので、さらに「春」という季語を付け加える必要はないと考えるのが普通です。しかし、「それ(『春の』という措辞)は大庇の上に麗(うらら)かな春の空を想い浮かばせる。蝶の来し方であり、蝶がいまそこから庇へ下りてきたところの春の空である。(中略)春でなければならない調べである。そこに『春の』という虚辞の据わる必要性があろう」(『現代俳句』山本健吉)という指摘の通り、あえて二つの季語を使うことで、この句は広やかな空間性を獲得しています。つまり、必然性がそこにあるということです。
 以上、二重季語は必然性の問題ということの一端を紹介しました。ただし、季語が二つ入ると、多くの場合、季語同士がぶつかり合ってしまいがちなので、あくまでも一つの句に季語は一つが基本であるということも承知しておいてください。
(学校・学年は投稿時のものです)