《2007群馬県知事選》
(2007/07/02)

半世紀ぶり保守分裂 48年も5人が乱立 激闘続いた戦後動乱期 知事選プレーバック

 第十七回知事選は、五日の告示まであと三日に迫った。県政史上初の五選を目指す現職の小寺弘之氏(66)に対し、自民党は前県議会議長の大沢正明氏(61)を公認候補として擁立、初めて現職と自民が割れる保守分裂選挙に突入する。会社役員の清水澄氏(58)、自民党員だった元県議の山本龍氏(47)、共産党推薦で弁護士の吉村駿一氏(63)も出馬表明し、五人の争いは一九四八年(第二回)以来で最多タイとなる。過去の知事選を振り返ると、今回の複雑な対立構図が際立つ。

 自民の公認候補は前橋市出身の清水一郎氏が一九七六年(第九回)に初当選して以来、三十一年ぶり。国政で友党関係にある公明党の推薦も取り付けた。その見返りに自民県連は、参院選比例代表に出馬する公明の加藤修一県本部代表を推薦する異例の対応をとった。
 民主党県連は不正経理問題に端を発した内部対立が解消されず、保守系グループが山本氏推薦を決めたが、労組系グループは小寺氏を支援、分裂状態になっている。吉村氏は小寺氏と並んで最多五回目の立候補になる。清水澄氏は前知事の三男で、親子で知事を狙う。

◎一本化調整

 三人の総理大臣が輩出した保守王国の本県で、知事選は新潟県出身の神田坤六氏が初当選した六〇年(第五回)以降、自民県連の候補者一本化調整が事実上の“選挙戦”だった。この間、保革の対立軸はあったが、自民が候補者を絞り込んだ時点で大勢をほぼ決していた。
 強固な支援母体の自民に支えられた神田氏、清水氏、東京都出身の小寺氏の三人はともに連続四選を果たし、半世紀近くにわたって長期政権が続いてきた。しかし、今回は現職知事と自民がたもとを分かち、保守王国の地盤に大きな亀裂が入った。
 構図は異なるが、保守分裂選挙は戦後動乱期の五〇年代にさかのぼる。五二年(第三回)は大阪府出身の北野重雄氏、前参院議員で旧箕郷町出身の竹腰徳蔵氏、現職で中之条町出身の伊能芳雄氏の保守系三人が争い、全員が二十万票台を獲得する接戦を北野氏が制した。現職の敗北は、過去十六回の選挙でこの時だけだった。

◎初の返り咲き

 北野氏は四七年に初代公選知事に選ばれたが、政府から保管を委託されていたコーヒー豆を苦しい県財政を補うために払い下げた「コーヒー事件」の責任を取り、わずか一年三カ月で辞任していた。知事の返り咲きもこの時が初めて。
 投票翌日の上毛新聞は選挙戦を振り返り、社説で「今度の知事選ほど力の伯仲した戦いはなかった。(中略)戦いは知事を選ぶためのものだからその知事が決まった以上、争いを後に残してはならない」と指摘、保守分裂によるしこりにくぎを刺した。
 続く五六年(第四回)も保守一本化はできなかった。新人四人が立候補し、自民は衆参両院議員を経験した鈴木強平氏を擁立、前回落選の雪辱を期す竹腰氏も出馬し、前回同様に激戦となった。  竹腰氏は投票日の四日前に急死。代わりに急きょ出馬した実弟の俊蔵氏が、社会党系の前県農地部長の東海林稔氏、鈴木氏らを抑えて当選した。次点との約四万七千票差は史上最小差だった。
 自民県連史の「県政風雲録」には、鈴木氏落選を受けて、「県連執行部が総辞職。保守陣営は混乱を続けた」との記述が残っている。
 毎回知事が入れ替わった戦後の動乱期から半世紀近くが経過した。少子化を背景にした人口減や格差問題など新しい課題が次々に発生する中、有権者は安定した長期政権を選択するのか、県政の刷新を求めるのか―。激闘の火ぶたが間もなく、切って落とされる。
(報道部 富田充慶、小泉浩一)


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