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民俗研究家 板橋 春夫さん(伊勢崎市今泉町)  

【略歴】国学院大学卒。76年、伊勢崎市役所に入り図書館、市史編さん室、公民館を経て、98年から文書広報課。80年に群馬歴史民俗研究会を設立し現在代表。98年から日本民俗学会理事も務める。


長寿観を垣間見る例も

◎葬式の赤飯

 葬式に赤飯を出す地域がある。昭和四十年ころまで利根郡月夜野町小川島では、初七日の念仏に集まった近親者や近所の人たちに「念仏玉」と称する赤飯を食べてもらった。現在は赤飯の念仏玉から饅頭(まんじゅう)に変わっている。

 江戸時代の喜多村信節『萩原随筆』に「凶事に赤飯を用る事民間の習慣なり」とあり、当時の識者には知られたことであったようだ。赤飯は糯(もち)米にあずきを交ぜてセイロで蒸かした赤色の飯で、祭礼・人生儀礼・年中行事など、一般に祝い事に食べるものと考えられている。

 文化庁がまとめた『日本民俗地図』によると、全国一三六六地点のうち、一四七地点で葬式あるいは法事に赤飯やあずき飯を使用していた。葬式の赤飯は、北海道から沖縄まで全国各地に点在している。『日本民俗地図』には群馬からの報告は少ないが、現在までに県内で葬式に赤飯を用いたという報告は三○カ所を超えている。

 新田郡新田町では、葬式当日の念仏の際、近い親戚がホカイ(行器)に入れて持ってきた赤飯を、おにぎりにして近所の人たちに出していた。最近はお菓子に変わったという。勢多郡東村では、明治三十三(一九○○)年生まれの話者が、少年時代には葬式の念仏玉に赤飯を使っていたと言い、伊勢崎市では同四十三(一九一○)年に「昔は赤飯だった」と言われていた。このように地域によって、赤飯の使用年代に違いがみられる。

 日本民俗学の創始者、柳田国男は赤飯の使用について、物忌みをして潔斎(けっさい)に入る日と日常生活に戻る日の境目をあずきの赤色で意識させようとした、と説明した。青森県で葬式当日に食べる赤飯を「チカラメシ(力飯)」と呼んだり、秋田県では通夜に「チカラガユ(力粥)」といって赤飯に湯をかけて食べた。いずれも、葬式を執行するにあたって力をつけておくという意図があったと考えられる。県内の事例でも近親者が赤飯をすぐ持ち寄る、食べきれないほどたくさん作る、余ったら持ち帰るなど、赤飯をめぐる伝承に注目したい。

 葬式や法事など葬儀全体の中で赤飯を食べる時期をみると、東北では死者が出るとただちに、あるいは通夜に親せきから赤飯が贈られている。四国などでは、四十九日の法事や一年忌などに赤飯を用いるところが多い。愛知県では、新盆の期間に念仏を申す際に赤飯が用いられている。岐阜県や沖縄県などのように、最終年忌の際に赤飯を食べる地域もある。

 勢多郡赤城村や北橘村など、現在も葬式に白いオコワ(強飯)を用いる地域もある。これは、凶事としての葬式に赤色の使用を考慮した結果かもしれない。桐生市梅田町で老人が亡くなったときは赤飯、若い人のときは白いオコワを蒸かしたというのは、長寿観が垣間見られて興味深い。

(上毛新聞 2001年11月14日掲載)