視点 オピニオン21
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城西国際大学大学院比較ジェンダー論専攻 
山口理恵子
さん(沼田市恩田町)

【略歴】城西国際大大学院在学。93年に沼田女子高卒、同年、筑波大入学。大学院修士課程を経て米・ユニバーシティ・オブ・ノースカロライナーグリーンズボロー校スポーツジェンダー学聴講生。


性別の二分化義務付け

◎女性とスポーツ

 二○○○年夏のシドニーオリンピックは、女性にオリンピックへの参加が許可された第二回パリ大会からちょうど百年目の大会でした。日本選手が獲得したメダル十八個のうち、十三個のメダルは女性によって獲得されたものでした。

 この女性にとって記念すべき大会において、日本の女性選手の活躍は象徴的でした。日本柔道期待の星、田村亮子選手やマラソンの高橋尚子選手に交じって、私の友人の大西順子選手も、見事に競泳400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得しました。今でもその時の興奮がよみがえってきます。

 しかし、なんと言っても日立高崎の宇津木妙子監督率いる日本ソフトボールチームの勇姿にはだれもが感動を覚えたのではないでしょうか。プロの選手を入れて期待ばかり大きかった野球チームの陰に隠れ、当初はあまり存在感のなかったソフトボールチームでしたが、勝ち進んでいくうちに多くの人たちの心をキャッチし、ソフトボールそのものの面白さを教えてくれました。

 現在のオリンピックの原型である近代オリンピックは、フランス人男爵(しゃく)のピエール・ド・クーベルタンによって創始されました。「より速く、より強く、より高く」というモットーは有名ですが、この彼の理念の中に女性は想定されていませんでした。彼は「女性は与えられている務めだけをきちんと果たしさえすればいい」とし、女性をスポーツから排除したのでした。

 一九○○年の第二回大会から女性の参加が許可され、参加種目数や参加者数も徐々に増えていくようになりますが、その背景に「男のような身体になる」「下品になる」「母体が傷つく」といった解釈によって、その排除は正当化されてきたのです。

 一九二八年、日本人女性で最初にオリンピック出場を果たし、メダルに輝いた人見絹枝選手も、「男性顔負け」の身体能力と体格ゆえに、「男ではないのか」とささやかれていたそうです。また、このような女性の見方は、国際大会におけるセックス・チェック(女性証明検査)を長い間、容認してきたのです。

 これは染色体によって「<男のような女>が本当に女であるのか」を調べる検査で、アトランタオリンピックまで続けられたそうです。実際、半陰陽の人もおり、女性と男性を二つに区分するのは難しいのですが、スポーツの中では性別の二分化をルール上で義務付けてきました。

 性別を二つに分けることは難しいのに、私たちは日常生活で女性なのか男性なのかを明確にしなければなりません。そして、そのあいまいな性別に基づいて「女らしさ」や「男らしさ」といったイメージがつくられているのです。

 「女なんだから料理ぐらいできないと」とか、「男なんだからめそめそするな」などなど。言われたことのある人は多いはずです。この「女らしさ」「男らしさ」を「ジェンダー」と呼びます。つまり、「ジェンダー」とは、社会や文化によってつくられた女、男の特性、態度、規範を意味します。

 次回は、このジェンダーとスポーツの関係について、もう少し詳しく考えていきます。

(上毛新聞 2001年11月27日掲載)