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嬬恋村商工会長 
戸部 一男
さん(嬬恋村三原 )

 【略歴】前橋工卒。73年に嬬恋村で酒販食品卸会社「大野屋」を創業し、76年から社長就任。国税モニター、村商工協同組合専務理事、吾妻法人会理事などを歴任し、99年5月から現職。


豊かな生活環境目指す

◎村の商工会

 昭和三十年代半ばごろ、吾妻郡の西部、長野県境の嬬恋村では、ようやくテレビが普及し始めた。キャベツ作りの農家では、牛や馬を使っての農作業が主だが、トラックなど機械力にも頼れるようになりはじめた。建築は国産の木材が主流の時代だから製材業は全盛期、集落の商店たちも頑張ればそれなりに売り上げが増え、威勢が良かった。職人たちにも、順番を待たせるほど仕事があった。村で力を持つ土木建設業の台頭は、このしばらく後から始まる。すべてに時間がゆったりと流れる時代。

 そんなころ、国は大企業と小規模企業との間にある経営資質の差を補うため、中小企業経営改善普及事業の名目で商工会法を作り、全国の町村に商工会を発足させることになり、私たちの嬬恋村にも商工会ができた。

 ものを売ることは得意だが、帳簿になれていない商店主や飲食店経営者、忙しくて手の回らない職人たちに、記帳の指導をし、税の申告の手伝いをし、健康保険、労災保険、雇用保険、共済、年金などのような経営福祉の制度を紹介して助言をした。国や県、村などの制度資金のあっせんもしながら、地場産業の育成と振興をし、村の経済と生活文化を支える役割を経営者たちと一緒に果たして、それなりに自負を持って活発に活動してきた。そんな村の商工会に、大きな時代の変化が押し寄せ、自らの役割を変えることを求められている。

 本格的なモータリゼーションの時代を迎え、村はキャベツ産地として名を成し、それと同時に加速度的に観光地化も進み、経済規模を拡大し、自分たちも便利になったし、豊かにもなった。しかし、その代償に遠くの町にできたスーパーやコンビニの影響を受けるなど、価格競争にも住民の購買行動の変化にもついてゆけず、売り上げを落とし衰退する商業、後継者難や大手住宅メーカーの進出で廃業する職人、長引く不況で客足の遠のく飲食店、近年ではレジャーの多様化と不況の影響で、経営に深刻さを増す温泉旅館やペンション、頑張っていればいつか必ずという希望にも自信が持てなくなってきている。

 また、経営者たちも皆、高学歴になり商工会を頼らなくても、自分の事は自分でやれるようになってきた。それらの一つ一つが会員数の減少になり、活動の不活発になって現れてきている。商工会は会員からも地域からも頼りにされているのか、役割は果たせているのか、商工会は本当に必要なのか、自ら考えなくてはならなくなってきている。

 日本一を標ぼうしてきたキャベツも、近年では相場に恵まれず、それだけで村全体の生活を支えることはできないことが見えている。このままだと、営々として築いてきた経済基盤も、固有の生活文化や風土も、大きな時代のうねりの中に消えてしまう。まだまだ未完成な村づくりが、ここで停滞してしまうかもしれない。
 商工会は、自らの考えを変え、立場を変え、行動を変えて、地域経済振興機関としての役割を担う。恵まれていると言われている自然を保護しながら最大限に活用することで、地域特性を生かした独自な振興策を提案し、実行することで、次なる時代に見えている広域連携と行政合併のシナリオの進む中、安定した新たな経済基盤と豊かな生活環境を、愛する郷土に実現する努力を続けてゆかなくてはならない。それが私たちの商工会に残された大きな役割と考えている。

(上毛新聞 2001年12月9日掲載)