視点 オピニオン21
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NPO法人・日本福祉教育研究所所長
妹尾 信孝
さん(渋川市折原 )

 【略歴】亜細亜大卒。難産の後遺症で四肢と言語に障害を持つ。兵庫県内の知的障害者施設の職員として16年カウンセリングに従事。みずからの体験を基に教育、福祉、人権をテーマに講演活動を展開。


互いに知ることが大切

◎共生社会の実現

 命や生、人間の幸福について、あらためて考えてほしいという願いから、自らの障害を生かし、人の心のあり方や生き方、生きる姿勢を多くの人たちに伝え、問いかける活動を行っております。

 先月、仙台にある東北朝鮮初中高級学校を訪ねました。東北では福島県に朝鮮学校がありますが、高等部が併設されるこの学校には、東北各地から集まった百九十一人の児童・生徒が学んでおり、その多くは寮生活をしています。これまでも各地の朝鮮学校を訪問し、授業の参観や懇談など交流を続けてきましたが、学校を訪れるたびに感じるのは、明るい笑顔とあいさつです。生き生きとして屈託のない子供たちの表情に、元気をもらって帰ります。

 日本の学校や地域の人たちと、交流の機会が多くなってきた東北朝鮮学校。以前は偏見、軽べつ視されがちでしたが、文化祭などに地域の人たちを招待するうち、先入観や違和感も自然にはがれ、日本の学校、地域の行事に招かれるようになり、お互いに交流を重ねていると言います。

 「朝鮮」との一言に、あまりいい印象を持たないのか、かかわりを避けたがる日本人も少なくないようです。しかし、一歩踏み出して在日朝鮮の人と触れ合い、語り合うとうわさされる言葉とは違う世界があります。事実を知らないで判断したり決めつけてしまうのは、よくないと思います。無知は、時に差別や偏見を生んでしまいます。

 日本人とは違う民族、との理由で特別視する。それは障害者、同和、エイズ、ハンセン病、さらに今問題になっているいじめや不登校などに対する見方と相通じるものがあります。外見や先入観で判断し、自分たち(日本人あるいは健常者)と異なる者を特別視する風潮は、ノーマライゼーション〈共生社会〉が提唱されて久しい今日でも、なお日本社会に根強く残っています。

 「普通の人と違うから」という言葉をよく耳にしますが、普通の人とはどのような人なのでしょう。姿形、それとも主義主張? 何を基準に普通の人と言うのか分かりませんが、自分本位な物差しで計り、見下したり、レッテルをはるような人こそ、普通の人ではないと思います。

 人は皆平等に生きる権利があります。人としての生きる権利を社会から排除していい法律はどこにもありません。人として生きることをはく奪することは、だれ一人できません。自分に生きる権利があるように、どんな人にも生きる権利があるのです。自分を大切にするように相手も大切にする。このような気持ちがなければ、人権問題のみならず、教育や国際問題等の解決は難しいと思います。

 日本の社会には、いろいろな人たちが暮らしています。互いに背を向けず、耳を傾け、触れて知ることが、差別や偏見の壁を崩していくと思います。これこそ真のノーマライゼーションの姿であり、人と人との心が通じ合う、人間として一番の幸福なのではないでしょうか。

(上毛新聞 2001年12月12日掲載)