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上智大学文学部助教授 
瀬間 正之
さん(高崎市台新田町 )

 【略歴】 高崎高校卒。上智大、同大学院修了。86年、ノートルダム清心女子大を経て、99年より現職。専攻は、古事記、日本書紀、風土記のほか、金石文、木簡など。古事記学会、上代文学会理事。


“新美文”の増殖に期待

◎文学離れ

 漢字離れ・活字離れが騒がれて久しいが、最近、東京の大きな書店を回ってがくぜんとした。大書店では各階ごとに分野別に本が置かれることが多いが、文学の階がない。売り場面積日本屈指の書店である。さてはと思い、人文の階に行ってはみたが、そこにもない。ないのである。実用書中心に売られているのかとも思ったが、もっと固いと思われる哲学書コーナーには、ふんだんに専門書が並べられているのである。かつてはどの書店でも、外国文学全集や古典文学全集、個人全集などが所狭しと並んでいたものである。この文学離れは何に起因するのだろうか。

 一般文学書のみならず、専門書も同じような状況である。国文学関係の専門書はまず初版は三〇〇部、これが古代史になると一〇〇〇部となる。古代史にはファンやマニアが多いから、当然と言うべきかも知れない。しかし、初版三〇〇部では、定価二万円、三万円は当たり前という高額な本となり、よほどでない限り個人購入はちゅうちょされる。

 こう高くなるともちろん学生は手が出せない。図書館で必要個所をコピーせざるを得ない。買わないから高くなったのか、高くなったから買わないのか、この悪循環はさらに進みそうである。つい先日も、古代史や国文学の研究書を専門に刊行していた出版社が、倒産の憂き目を見たばかりである。
 同じ原因によるものか、大学・短大の国文学科の改編も著しいものがある。日本文化学科・言語文化学科の一専攻になったり、コミュニケーション学科に変ぼうしたり、単に名称のみを日本語日本文学科に置き換えたり、今では国文科という名称は希少価値になりつつある。かつて国文科といえば、それを持たぬ文系の大学を探すのに苦労するほどだった。

 こうした流れは世界的かと思えば、お隣の韓国では、自国の文学は無論のこと、村上春樹や村上龍をはじめ、多くの現代日本文学が翻訳され愛読者も多いという。

 曙光(しょこう)は二つある。最近の一つの傾向として、短期であっても留学経験を持つ高校生が国文科を志望する例がある。外国で暮らすと、まず日本の代表のように扱われる。そこで当然日本に関する質問が押し寄せる。自分がいかに日本について無知であるかを痛感することになる。その苦い経験が、志望動機となると言うのである。既に多く語られた言葉であるが、真の国際化とは、まず自国を知るところから始めねばならないということであろう。

 もう一つの明るい兆しは、若年層に愛読される小説群である。ヤングジュニア小説中には、黒瞳(こくとう/こくどう)・麗貌(れいぼう)・蒼眸(そうぼう)などの難解な新漢語が散見する。これらは新美文と呼ばれ、複数の作家に広まりつつある。漢字離れを指摘される若年層小説に見られる新漢語の増殖は、始まったばかりにしてかなりの勢いを持っている。

 こうした現象が、漢字や文学との復縁の契機となることを切望する昨今である。


(上毛新聞 2001年12月13日掲載)