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建設会社勤務(管理建築士) 
川野辺 一江
さん(館林市近藤町 )

 【略歴】東洋大工学部卒。都内の建築設計事務所勤務などを経て結婚後、一級建築士に合格。管理建築士を務めている。館林市の中心市街地再生を考える「まちづくりを考える研究グループ」メンバー。


震災復興で街並み一変

◎神戸市長田区

 神戸市垂水区の生まれで、現在も同じ場所に住み、同市内に職場を持つ、生粋の神戸人、Kさんの案内で先月、私は長田区の商店街を歩いた。
 二年前、一人で大阪からJR神戸線に乗り、新長田駅で降りて、長田区を歩いた時は、駅周辺に建物が見当たらず、遠くまで見渡せた。空き地ばかりの市街地にポツン、ポツンと新しいビルが建っていた。今回、電車の窓から見た神戸の市街地は、大地震があったのが信じられないほど整備され、大きなビルが建ち並び、商店街も華やかな装いをしていた。
 パソコンのインターネットを通して知り合った神戸在住の人に、「震災後復興の遅れている地区はどこか」と尋ねたら、「長田区が一番遅れている」と教えてくれた。長田区は零細企業が多いため、立ち直りが難しいとのことだった。
 プレハブの仮設店舗の商店街は、震災の焼け跡の残るアーケードの入り口に「大正筋」と書かれた横長の看板がかかっていた。通りのことを神戸では筋と呼ぶらしい。その「大正筋」の入り口わきに「琴港湯」という小さいふろ屋を見つけた。復興の遅れている町にふろ屋ができたということは、町に住む人々にとって憩いの場ができたことになると思った。
 「大正筋」のアーケードを抜けた道路沿いに、コスモスが咲いている空き地があった。震災以前は四、五軒の住宅が建っていた場所らしい。その空き地にたたずんでいると、家族の話し声や犬の鳴き声が聞こえてきそうな気がしてきた。二年前に神戸に出かけたのは、震災直後に災害状況を見られなかった反省からと、ネットの仲間から震災について様子を聞いて、五年たった神戸の復興状況を学びたいと思ったからだった。
 今回の神戸行きは、神戸オフ会が先月二十四日の午後行われることになり、オフ会に参加するのと併せて、神戸市の復興の様子を見て回ることにした。Kさんから「今回は長田区のどの辺を見たいのか」と聞かれた時、私は「大正筋の辺りを見たい」と答えた。最初は「大正筋」が見つからなかった。長田区の町並みが震災以前とすっかり、変わってしまったためらしい。
 多分この通りだろうと歩いているうちに、道路に面して大きな再開発の工事現場の塀が続く十字路の上に、新しく「さわやかタウン 大正筋」と書かれた看板が掛けられていた。あの焼け跡の残るアーケードは姿を消していた。その十字路のわきを見ると、「琴港湯」が二年前と変わらず建っていた。「大正筋」の道路沿いに再開発される建物の完成図を見ると、中高層ビルの建ち並ぶ街の風景が描かれていた。
 長田区が復興することはよいが、これまで、この地区に住んでいたお年寄りになじめるだろうか。「琴港湯」の周辺だけは、まだ昔の面影が残っているような商店街がある。二、三年後、また長田区を訪れて、町の変化を見たいと強く思った。

(上毛新聞 2001年12月15日掲載)