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日本吹奏楽指導者協会会長室室長 
児玉 健一
さん(松井田町新堀 )

 【略歴】松井田町で学習塾を経営するかたわら、1978年に音楽グループ「からす川音楽集団」を立ち上げ団長に就任。96年に中国・承徳市栄誉市民。今年6月から同集団名誉団長に就任。


真剣な練習態度に感心

◎中国の吹奏楽

  今年の八月、北京市で「第一回日中友好吹奏楽演奏大会」(中国文化部主催)が開催され、日本代表として「からす川音楽集団ジュニア吹奏楽団」、新潟県の「三条市吹奏楽団」、東京都の「創価大学吹奏楽団」の三団体が出場。中国からは「北京市少年宮」、上海の「民航中学」、広州の「小天使管楽団」、承徳市の「熱河烏川友好音楽団」など八団体が出場し、二日間にわたり両国代表の熱演が繰り広げられた。

 中国政府からは、日中友好の立て役者である劉徳有氏ら、日本からも日本吹奏楽指導者協会長をはじめ、多くの指導者が参加した。また、新聞やテレビなどマスコミ二十五社が、その模様を全中国に伝えた。

 大会では、演奏だけでなく両国吹奏楽指導者の合同会議も行われ、北はハルピンから南は広州、マカオまで中国各地から五十人余の有力指導者が出席。両国の吹奏楽発展の歴史や現在の状況、問題点なども話し合われ、双方の理解を深めることができた。

 私と中国とのかかわりは、一九九二年に始まる。高崎市と友好都市である河北省承徳市に、中古楽器を持ち込んで「熱河烏川友好音楽団」を結成。承徳市の青少年に音楽指導を始めたことが、きっかけだった。

 年に四、五回訪中し、基礎から念入りに指導した。結成二年目にして、第一回定期演奏会の開催にこぎつけることができた。このことは中国で話題になり、中国中央電視台により放映され、それを知った中国文化部(日本の文部科学省)の役人が、承徳市に視察にやってきた。その時、「中国に日本の吹奏楽を導入したい」という殺し文句を言われ、ついその気になって現在に至っている。

 「まず、スクールバンドから育てよう」との提案に、北京大学付属中学と上海崇明路小学校を指定。重点的な指導を開始した。このプロジェクトには日本の芸大に当たる中央音楽学院の管楽器教授や、上海交響楽団のメンバーも参画してくれ、大変助けられた。

 九六年、香港で開催された「第九回アジア環太平洋吹奏楽大会」に、両校は初の中国代表として出場。その演奏は各国関係者から驚きとともに絶賛された。

 周知の通り、このころから中国経済は急成長を続け、特に都市部の生活環境は大きく変化した。現在北京、上海ともに二百以上のスクールバンドが誕生し、その数は毎年倍増している。

 第一回日中友好吹奏楽演奏大会での日本代表三団体の演奏は見事であった。洗練されたサウンド、的を射た音楽解釈など、中国代表の比ではなかった。「三十年遅れている」とは中国指導者の弁。

 しかし、私が指導している中国の生徒たちの態度には、いつも感心させられている。友好的で、礼儀正しく覇気があり、彼らの真剣なまなざしは練習場の空気を心地よい緊張感に変え、つい、本気にさせられてしまう。きっと日本のそれに追いつくのに、そう長くはかからないだろう。

(上毛新聞 2001年12月19日掲載)