視点 オピニオン21
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対照言語学者・ブリッジポート大学客員教授
須藤宜さん
(高崎市上中居町)

 【略歴】群馬大卒。東京教育大研究科、ユニオン大、立教大大学院をそれぞれ修了。教育学博士。大学教授を26年間務め、現在米国の大学の客員教授、2大学で講師。著書15冊、共著3冊、論文28編。


傾聴三昧の家庭環境を

◎子どもの教育

 この四十年ほどの日本社会の変化は、おそらくわが国の歴史の中で最も激しいものであろう。高度成長を成し遂げ、モノはあふれたが、今やポスト産業社会へと移行している。そして、極めて深刻な異変が、子どもの世界で起きてしまった。

 それは、一般に考えられている「不登校」や「学級崩壊」などのような現象ではなく、多くの子どもたちが示している「学び」への拒絶反応である。日本の子どもは、今や世界で最も学ばない子どもへと転落してしまった。

 一九九三年に総務庁が、わが国とアメリカ、韓国の小・中学校で学校外学習時間の比較調査を行った。その結果、わが国は塾での学習時間を加えても、アメリカの子どもの約半分、韓国の子どもの三分の一程度だということが分かった。日本の児童や生徒の校外での学習時間が、世界の最低レベルに落ち込んでいるということは、他の種々の比較調査からも明白な事実となっている。

 しかし、子どもにとって考えること、学ぶことは、、けっこう面白いことではなかろうか。娘の例であるが、小学校五年生のとき、マレーシアの叔父のところに旅をさせた。その思い出を書かせたところ、「おじは今、何をしているだろうか……」と書いた。これは『りんごの独り言』の「いまごろどうしているかしら/りんご畑のおじいさん」が心に刻まれていたためだと思う。

 童謡は、心地よいメロディーとして豊かな心を育て、楽しく思考力を成長させてくれる。学習に対し、消極的で冷笑的でさえある子どもの数が増えている背景には、学習への「導入」の失敗がある。

 元来、人は身体のエネルギーを使って意欲的に体を動かし、興味をもってものを考える本性を備えている。幼児は体を動かし、遊びほうける。このエネルギーを思考の面や、人と人とのつながりに使えるよう移行させることが、子育ての眼目であるはずだ。体を動かすことから始まり、具体的に体験しなくても、頭の中で考え、〈試してみなくも分かるよ〉というところまで育てなければならない。

 「読み聞かせ」もよい。肉声で話を聞くのと、テレビを見るのとでは、全く違った結果になる。テレビ画像の絵は、抽象的イメージを高めてくれない。肉声の語りには空間を共有する心地よさがあり、イメージが膨らみ、思考力が育つ。そして何よりも母親から聞く話は、温かく楽しいものだという体験が、子どもを成長させる。

 子守歌、童謡、おとぎ話、さらに百人一首など「傾聴三昧(ざんまい)」な家族環境こそ望まれるものだ。読み聞かせは、まず全体の調子をつかませ、気分を理解させることに重点を置く。心を込めて朗唱すれば、気持ちが伝わり、意味も次第に理解される。

 子どもの体や心は、放っておいて育つものではない。親は思考力を伸ばす手立てを心得て、丹精をこらして意欲を引き出すよう務めるべきだ。親自身が体を動かし、心から語りかけることが、今の便利な社会で特に必要だ。


(上毛新聞 2002年1月16日掲載)