視点 オピニオン21
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NPO法人・日本福祉教育研究所所長 
妹尾信孝さん
(渋川市折原 )

【略歴】亜細亜大卒。難産の後遺症で四肢と言語に障害を持つ。兵庫県内の知的障害者施設の職員として16年カウンセリングに従事。みずからの体験を基に教育、福祉、人権をテーマに講演活動を展開。



共に生きる社会

◎助け合える関係が大切

 心がとても温かく希望に満ちあふれ、他人にも分けてあげようとする心が幸福の意味であり、これが共に生きる姿であると実感することがあります。生きる姿勢や心のあり方を問いかける活動を始めて五年になりますが、生きることや幸福について多くの人たちとのつながりやかかわりを通し、身に染みて教えられます。実際に見て触れて体験することが生きた学びとなり、自らの活動を支える基盤になっています。生かされる活動ができるのも、さまざまな人たちとの出会いのお陰と感謝してやみません。

 一月中ごろ、埼玉県に住む母から電話がありました。母親は、弟夫婦と暮らしていますが、その関係はいまいち。弟夫婦のやり方、考え方もあるからと納得しつつも、何かすっきりしない様子です。そんな折、娘(私の妹)が東京から遊びに来た際に、嫁から聞いたのか、母の言動をいろいろたしなめたそうです。

 「言われてみれば、そうかもしれないけれど、私はそうならざるを得なかった。障害の子供(私)を抱え、生活するのは生易しいことではなかった。堅い意志を持つことでここまで来られたと思う。三人の子供を抱えているから分かるでしょう」と、少し涙声で自分の思いをぶつけてきた母でした。親子のきずなでさえも難しいのに、お互いの生活環境が違う者と生活するのは、言葉では説明できない難しさがあります。科学の発達した今日でも、嫁と姑(しゅうとめ)の関係は昔から変わっていないような気がします。

 三年間だけでしたが、両親と同居したことがありました。妻との心のすれ違いによる対立が続き、結果的に別居を余儀なくされた、苦い経験があります。身内の言動は、他人の言動より心を傷つける度合いが大きいことを、あらためて母の電話、また自らの体験を通して痛感しました。

 身内だから何でも言える、話せる、という関係がやっかいであり、難しいのです。身内のつながりほど、お互いの気持ちがかみ合わないこともあります。ほんのちょっとした言動が、不信感を招き、その関係に亀裂が入ってしまうこともあります。

 しかし、できた溝を補修、補強できるのも家族です。母からの電話ですが、実は私をさておいて、妻と長々話していたのです。苦い体験が母と妻とのきずなを生んでいたのです。

 人のつながりが薄れ、人間関係も複雑化している昨今ですが、一番身近で、それも血縁者同士のつながりが乱れてしまっているのでは、人と人との輪を広げていくことも、人々が仲良く共に生きる社会を築いていくことも難しいでしょう。

 大家族から核家族に移行しても、身内は身内。信頼し合える、助け合える関係でありたいと思います。人間関係の大切さを家族から地域、社会につなげていくことが、私の唱える「共に生きる社会」でもあります。


(上毛新聞 2002年2月17日掲載)