視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
木工家 大野 修志さん(上野村新羽 )

【略歴】北海道生まれ。千葉、東京での生活を経て89年に上野村へ。村森林組合銘木工芸センター勤務後、92年独立し「木まま工房」設立。県ウッドクラフト作家協会事務局長。村木工家協会副会長。


「自給自足」の心

◎生活の喜び生まれる

 しかし、幸いなことに移住できた土地は、集落のなかで仕事に付くことができ、周囲の人々に支えられ、環境の良い生活が送れることになりました。ところが、次第に生活を支える収入などが大きな問題となり、移住して四年目に一念発起して独立し、自営業を始めることになりました。

 それから十年余りたち、何とか自営で生活できる状態で過ごしていますが、今にして思えば、あの時の「自給自足」という思いが強い支えになっているのだと思います。

 「自給自足」とは、人間にとって生きていくことの大切な部分、食という分野で、己の必要とする食材を育てたり狩をしたりして生きていく、己の生活は己で守るという大切な考え方であったと思います。このことは、はるか昔から人が生きるために自然な形で始まってきたことで、まだ社会という関係ができる以前の基本的なことでした。

 現代社会での「自給自足」という方法は、その意味では労働することによって得たお金で生活を満たし、守ということになります。生活をするために必要な条件(労働)ということを通して、同じ結果を出していると思われますが、本質は違うと思います。その違いは何かというと、それは生きるために己に課せられた責任ということであり、この責任を生きる喜びと思えるか、ただ生きるために必要だから責任を果たしているという考え方なのか、ということだと思います。

 自然を相手に生きていく「自給自足」では、すべてが自分の判断、そして努力により生か死かの結果が出されます。ただひたすらに生きていくことには、責任という言葉はありません。しかし、自分の決める生き方の判断により、生活の喜びをもたらしてくれます。

 片や社会の中で生きていくことは、社会の規則を相手にします。その中で自分にとって大切な判断をし、努力しても自分を守れないことがあるでしょう。そして、その責任という言葉を使い、心の中で言い訳をしなければならないのかもしれません。

 しかし、今でも「自給自足」の心を持つことができます。それは心の中で自給自足をすることです。自分自身に種をまき、どう育てるかを考えて行き、そして実を結んだ物を利用する時こそ、社会に生かされていくのではなく、自分で生きている充実感と喜びが生まれてくると思います。

 私は、自分の仕事の中にこの「自給自足」を考えています。木工の仕事をしている訳ですが、まず製作する物のデザインを思い、どう作るかを考えます(種まき)。次に加工組み立てをして完成させます(育成)。そして販売をします(収穫)。この一連の作業をなしえた時、私にとっての「自給自足」から得る生活の喜びが生まれて来ます。


(上毛新聞 2002年2月18日掲載)