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映像演出家 桜井 彰生さん(東京都墨田区緑町 )

【略歴】前橋市出身。新島学園高、早稲田大卒。記録映像作家として医療、介護などをテーマにドキュメンタリー作品を演出。文化庁奨励賞、国際産業映画ビデオ祭奨励賞、同経団連賞金賞を受賞。


野の蚕

◎雑木林に目を向けて

 私は今、野蚕をやってみようと考えています。野蚕とは、野山に住む蚕がクヌギやナラの葉を食べて作る繭を収穫することです。野山の蚕とは、すなわち蛾(が)のことです。大きさも養蚕に使う蚕よりずっと大きく、いかにも自然の中で生きられそうな節くれだった姿をしています。

 しかし、野の蚕が作る繭は淡い緑色で、それはそれは美しい色合いをしています。養蚕業界では、野蚕とそれを産業化した天蚕とを区別していますが、クヌギやナラの木を用いて野生の蚕に繭を作らせることでは共通しています。

 群馬県で中之条町にただ一人、天蚕をしている方がいます。その方は、以前は桑園だった畑に人の腰高のクヌギを数百本ハウス状に栽培しています。ハウス状とは、鳥や猿に野の蚕が食べられてしまわないよう、ネットで覆っているので、そのように見えるのです。まさに野蚕を産業化した大規模な天蚕園です。そこで取れる繭は淡い緑色で、繭一つが百円で取り引きされるほど、希少価値が認められています。通常和服一枚を作るのに繭は約一万個必要と言われ、天蚕の繭なら百万円分が必要なのです。

 しかし、私が野蚕に引かれるのは、その貴重さゆえではありません。野の蚕は自然の豊かさを示すシンボルだと思うからです。つまり、クヌギもナラもブナ科の木であり、ブナの木はその幹に水を蓄える涵養(かんよう)樹です。ブナの成木一本で水一石を蓄えると言われ、水一石は一反の水田を満たすと言われています。

 また、その腐葉は鉄分を多く含み、地中に入って鉄イオンとなり、海に流れ出て海草や魚貝類の育成に良好な効果をもたらすと言われています。関東地方の水がめと言われる群馬県には、ブナやクヌギ、ナラといった涵養樹こそが求められる訳です。

 だが、これまでこの種の樹木は換金性の低い雑木として扱われ、植林も積極的には行われて来なかったようです。群馬にはこの種の雑木林が、あふれるほど存在しなければならないのではないでしょうか。なにしろ関東の水がめなのですから。

 そして、スギやヒノキといった換金性の高い樹木ではなく、雑木林の多さを群馬の誇りとしてもよいのではないでしょうか。クヌギやナラの葉を食べ、美しい緑色の繭を作る野の蚕が、雑木林を通る身近なハイキングコースの中で見られる、そんなありさまを私は想像しています。

 少なくとも、日本では産業として成立させることの難しさから忘れ去られてしまったような天蚕や野蚕を、より多くの人に紹介したい。そして、貴重な自然の恵みが、あまり価値を認められないクヌギやナラの葉によってもたらされることを知って頂きたいと思っています。

 私は、自然を守り育てるなどと聞くと、自分とはほど遠いことのように感じていました。でも、それを活用しようと考えてから、必然的にもっと自然に目を向け、大切にしなければと思い始めました。野の蚕のおかげと言うべきでしょう。


(上毛新聞 2002年2月20日掲載)