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日本吹奏楽指導者協会会長室室長
 児玉 健一  さん
(松井田町新堀 )

【略歴】松井田町で学習塾を経営するかたわら、1978年に音楽グループ「からす川音楽集団」を立ち上げ団長に就任。96年に中国・承徳市栄誉市民。昨年6月から同集団名誉団長に就任。


パラオに吹奏楽団

◎演奏会で大統領が涙

 南洋の楽園パラオ。北緯七度、東経一三五度、日本の真南に位置し、大小二百余りの島々からなる人口一万五千人の共和国だ。

 私がパラオに関心を持ったのは「遺骨収集団」の記事を読んでからだ。高崎歩兵第十五連隊がパラオで玉砕したことも初めて知った。太平洋戦争では大激戦地になり、日本軍一万二千人、アメリカ軍八千人以上の死者を出したこと。幸いパラオ人は戦いが始まる前に避難していたが、海や畑から引き離され、食料不足から人口の一割が亡くなってしまったこと。この戦争で戦った兵士にとって美しい南の楽園は、太平洋の地獄だったに違いない。

 パラオに吹奏楽団を結成し、子供たちに音楽を指導する構想を勝手に持った。これをやらないと私の人生に悔いを残す、とまで思った。幸運にも来日していたパラオ大統領とお会いできた。構想を伝えると大喜びであった。早速、現地調査のためパラオに飛んだ。予想はしていたが、あまりの条件不足にあぜんとし頭を抱えた。毎日朝方まで考えた。「育成するしかない」という結論に達し、文部省の若手職員を来日させることを決めた。

 この構想の成功は、すべてこの若者の努力にかかっていた。すべての楽器の奏法、修理、楽譜の読み方、指揮法、運営法など、毎日十二時間に及ぶ猛特訓を四カ月続けた。県内の多くの方々の支援を受け、楽器の準備ができた。ほとんどが中古品だ。一九九八年八月、からす川音楽集団とともに海を渡った。初めて見る楽器に、パラオの子供たちは目を輝かせた。

 これまで音符を見たこともない子供たちに基礎教育を開始した。ところが、初めての本番依頼がすぐに舞い込んだ。パラオ共和国独立五周年記念式典と南太平洋フォーラムでの演奏だ。この大会には、二十カ国以上の国家元首が出席する。大役だ。

 この大会のために先輩の作曲家に依頼し、『パラオ行進曲』を準備した。パラオの伝統的なリズムを入れ、中間部にはパラオ国歌を使った、パラオの第一号行進曲だ。猛練習が続いた。普段のん気な子供たちも、人が変わったようにがむしゃらに頑張った。いよいよ本番。文部大臣の紹介で私はタクトを振った。堂々たる演奏だった。「パラオウインドオーケストラ」誕生の歴史的瞬間だった。大統領は泣いていた。

 今年一月、待望の専用練習場がパラオ大学内に完成した。楽団の当面の目標はアジア環太平洋吹奏楽大会に出場すること。二世紀にもわたり他国に支配されながらも、自分たちの伝統、文化を守り続けてきた彼らには、誇りの高さと頑固な気質がある。きっと素晴らしいパラオサウンドを世界に響かせることだろう。





(上毛新聞 2002年3月8日掲載)