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ケアホーム「家族の家新里」施設長
 渡辺高行さん
(新里村新川 )

【略歴】専修大経営学部卒。県内の老健施設勤務後、95年に痴ほう性老人のグループホーム「ケアホーム『家族の家新里』」を設立した。県痴呆(ちほう)性高齢者グループホーム連絡協議会副会長。


S課長の涙

◎老人介護の将来に希望

 人が流す涙は一様ではない。悲しみや苦しみ、喜び、悔しさにも人は涙を流す。しかし、この時のS課長の涙は痛恨の涙であった。彼は長年、老人医療制度計画に深く携わってきた。そして、そのことにより、本来医療より介護が必要な高齢者が大量に老人病院や一般病院、精神病院に流れ込んだ。この結果、何が起きたかは周知の通りである。

 すなわち、薬漬け、寝かせきり、身体抑制が当然のように行われ、人の尊厳や心の命を無視した医療、看護が行われてきた。もちろん、すべての責任が医療制度によるものではない。特別養護老人ホーム等の受け入れ施設の絶対的不足、一部、医療・看護側の倫理感の欠如とも思えるほどの漫然とした対応。さらに言えば、このような現状を知りながら、強く訴えてこなかった私たちにも責任の一端はあるだろう。しかし、彼はそれを自分の責任ととらえて涙を流した。なぜ、彼は責任を感じたのであろうか。それは、彼自身の変化とともに看護、介護環境の変化を念頭に考えなければならない。

 昭和六十年代の前半、私は老人保健施設の指導員として寝たきりをなくそうと、懸命に離床に努めていた。しかし、そこでは抑制は当然であったし、抑制衣の使用もごく普通のことであった。ところが、ある介護セミナーで、二十歳そこそこの介護職員が「私の施設では抑制衣は一切使いません」と宣言したのである。この言葉が、私の介護理念の転換となった。要するに、私は井の中の蛙(かわず)であり、自分の介護について何の疑問も持っていなかった。S課長の涙の原因も恐らく同様ではないだろうか。

 当初は、自分の目で看護、介護現場の悲惨な状況を見ることはなかったであろう。仮にそのような機会があったとしても、それが当時としては当たり前のことであった以上、心情的・感覚的に多少の疑問を持つ程度にとどまり、制度の改革を動機付けるほどの力は生じさせなかったのではないだろうか。

 それが超高齢化社会に突入し、さまざまな看護・介護の理念、技術が取り入れられ、それまで漫然と行われてきたことがいかに非人道的であったかが、一般の方々にも理解されるようになってきた。そして、恐らくは、彼もこの新しい流れを察知し、自身の目と心であらためて現場を見たときに、自分が何の疑問も持たずに行ったことがいかに人々に苦痛をもたらしたかを痛切に感じ、膨大な数の方々の痛みを、自身のものとして多少なりとも感じることができたゆえに、涙することができたのではないだろうか。

 広い会場を埋め尽くした聴衆たちは、こんな役人もいたのかと一様に感激した。日本の老人介護の将来は依然として厳しいが、彼がいてくれるならば、私たちも希望を持てるのではないかと、熱いエールを送ったのである。

(上毛新聞 2002年3月15日掲載)