視点 オピニオン21
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対照言語学者・ブリッジポート大学客員教授 
須藤宜明 さん
(高崎市上中居町 )

【略歴】群馬大卒。東京教育大研究科、ユニオン大、立教大大学院をそれぞれ修了。教育学博士。大学教授を26年間務め、現在米国の大学の客員教授、2大学で講師。著書15冊、共著3冊、論文28編。


マイナス思考

◎肯定を具現する現像液

 桐生市が開催した五木寛之文化講演会を聞きに行った。演題は「日本人のこころ」。

 日本人は古来、胸底にうずく愁いを暗愁という言葉で表現していたという。しかし、この語は、強さを強調する経済大国にはふさわしくなくなってしまった。戦後追求してきたものは、乾燥した社会だ。心に潤いがうせ、命も軽くなり、粗末に扱われるようになった。また、マイナス思考も否定された。しかし、マイナス思考に徹してこそプラス思考が生まれるのだ。深く悲しむことは、喜ぶことと同様に細胞を活性化するという。悲しむと生命力を低下させると考えられがちだが、実際は生命力がよみがえる。絶望のふちに沈んだときこそ、真の希望と生きる勇気が訪れる。

 五木さんは、中学一年生のとき朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で敗戦を迎えた。私も京城中学校の二年生だった。父は四十三歳の公務員で、出産を控えた母と五人の子を抱えていた。混乱のなか引き揚げてきたが、管理職があだとなり職に就けなかった。当時はどの家庭にもモノはなかったが、わが家は文字通りの裸一貫。いやおうなしにやる気がわく。マイナスをバネに人一倍努力した。

 高度成長期に、日本社会は神代以来の急激な変動を遂げた。モノに価値の物差しを置き、その充足に躍起となった。そして連綿と続いてきた生命の根元にある<精>と心を表す<情>を捨てようとしている。もちろん便利なものが容易に手に入ることはありがたい。問題は過剰消費と人間性の低下にある。農耕社会では四季の豊かな風土で、人々は精を出して大地から豊富な実りを手にした。そこに自然への感謝や温かな人間関係が育った。現在はモノを簡単に選び、その生産過程や、他の命をいただく仕組みが見えない。こういう社会では、人間味に乏しく、発展は望めない。

 現在の社会の欠如は、心身のエネルギーを楽しく使わないことと、マイナス思考を忌み嫌うことだ。私はこの四年間、ランニングを続けているが、歩いたり、ジョギングをしている人は少ない。犬と一緒に歩いている人はいるが、子や孫と歩いたり走ったりしている人は見かけない。体を動かすと、本来備わっている能力が目を覚まし、神経細胞接合部が活性化することに気づく。幼児や子どもが絶えず心身のエネルギーを使っているように、本来体を動かしたり考えたりすること自体、楽しいことであるはずだ。

 市場経済では、マイナス思考は見向きもされなかった。大学の学生募集について、私はマイナス要因を徹底的に検討することが最善の策であると提案したことがあったが、全く受け入れられなかった。マイナス要素は否定そのものではなく、肯定を具現する現像液だ。

 戦後五十数年。忘れられてきたものは<精>と<情>と<闇>である。悲しみと喜びは同じ感情の両極であり、闇のなかにこそ一条の光が走る。そう考えると暗い世相も捨てたものではない。人の心は、豊かなエネルギーの鉱床で満ちている。心の限りを尽くしたい。

(上毛新聞 2002年3月20日掲載)