視点 オピニオン21
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城西国際大学大学院比較ジェンダー論専攻 
山口理恵子さん
(沼田市恩田町 )

【略歴】城西国際大大学院在学。93年に沼田女子高卒、同年、筑波大入学。大学院修士課程を経て米・ユニバーシティ・オブ・ノースカロライナーグリーンズボロー校スポーツジェンダー学聴講生。


オリンピック

◎メディアはすぐ冷める

 前回(一月二十五日付)はスポーツの中に見られる「ジェンダー・バイアス」について触れ、女性と男性の差というよりも「個人差」に目を向けていくべきではないか、ということを述べさせていただきました。残念ながら今の競技スポーツでは、ルールによって女性の種目、男性の種目という二つの区分しか想定されていません。そのためアスリートは、そのような性の区分は不十分かつ不適切であると知りながらも、その区分に基づいたルールに従い、自らの性を明らかにしなければなりません。そもそもなぜ競技スポーツは、女性と男性とで競技が分けられているのでしょうか。このことについては次回で触れてみたいと思います。

 今回は、二月に開かれたソルトレーク冬季五輪のようすから“オリンピック”というイベントについて考えてみたいと思います。昨年の米国におけるテロの影響で、厳重な警戒態勢のなか開幕したこの大会。思えば招致活動の買収スキャンダルに始まり、審判の不正疑惑に終わった大会だったように思います。

 五輪開催の年にいつも感じるのが、メディアのあり方(伝え方)と五輪の意義についてです。メダル獲得を基準にしたアナウンサーの物言いからは、スポーツの狭い意義しか伝わってきません。今回もスピードスケートの清水宏保選手が金メダル候補と期待されていましたが、銀メダルに終わった結果を本人よりも、インタビュアーであるアナウンサーのほうが肩を落としていました。これはこの大会に限ったことではありませんが、多くの選手が「順位よりも充実感」を強調している状況を考えると、メディアが選手に対し期待やプレッシャーを過剰にあおっていることがうかがえます。

 五輪の前と最中は一気に愛国心ムードを漂わせ、五輪終了後はアマチュアスポーツをほとんど取り上げないメディアのあり方。そして五輪がなかったかのように、プロ野球やサッカーがスポーツニュースのメーンになっていく…。これは毎度のことです。シドニー五輪で注目を浴びた女子ソフトボールのその後について知りたいという人は多いと思うのですが。

 また夏季五輪に比べ、冬季五輪では黒人選手をほとんど見かけません。アジアの参加国も非常に限定されています。このような状況には気候や風土などの住環境も関係していると思いますが、夏季五輪の陸上競技では黒人選手の出場が大半という米国でさえ、冬季五輪になると白人選手ばかりです。これはいったいどういうことなのでしょうか。

 「平和の祭典」であったはずの五輪は欧米社会を中心に競技スポーツを基準としながらグローバル化を促進させ、強者(勝者)と弱者(敗者)の階層化、権威化の一助にすらなってしまっているのです。そしてこのような状況のなか、メダルの獲得数で国の強さを誇示しようとする戦略の犠牲となり、知らないうちに禁止薬物を服用させられているアスリートもまれではありません。皆さんは五輪のあり方、そしてスポーツの意義をどう考えますか。


(上毛新聞 2002年3月22日掲載)