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嬬恋村商工会長 戸部 一男さん(嬬恋村三原 )

【略歴】前橋工卒。73年に嬬恋村で酒販食品卸会社「大野屋」を創業し、76年から社長就任。国税モニター、村商工協同組合専務理事、吾妻法人会理事などを歴任し、99年5月から現職。


東京に雪だるま

◎地道な行動で村をPR

 嬬恋の短い夏が終わった昨年九月の初めごろ、役場の企画課から相談があった。私たちの村と姉妹提携関係にある東京都千代田区が、スポーツ用品店が多く集まる神田小川町の商店街で、一月に実施する『雪祭り・スポーツフェア』の会場に「大きな雪だるまをたくさん飾りたいので協力してほしいと言ってきているのだが、商工会で対応できないか」というのだ。

 年末年始はクリスマス・イルミネーションコンテストや歳の市、フィルムコミッション事業の立ち上げなど重要な行事が立て込んでいる上に、会員の確定申告の手伝いも始まる忙しい時期で対応は難しいのだが、でもちょうどそのころは冬の観光シーズン真っただ中、客数の伸び悩むスキー場の宣伝に大きな雪だるまで一役買うことができるかもしれない、これを機に先方との民間交流も活発になれば、キャベツで有名な嬬恋村だが、もっと別な魅力がたくさんあることを、都会の人々に広く知ってもらういい機会にもなる。そう考えてこの申し出を受けることにした。

 高さ一・八メートルの雪だるまを十六個作ることで計画の概要が決まったが、問題はどんな方法で作るかだった。試行錯誤の末に、大きな型枠に雪を詰め込んで何日かたってから、枠をはずしてできた雪の塊を園芸用の道具で削って作ってみると、これが実にうまくいくことが分かった。

 さて、年が明けて一月十八日、真夜中の一時に、雪を詰めた大きな箱を積んだ大型トラックが村を出発して、雪だるま大作戦は始まった。日ごろは忙しい大工の棟りょうや社長さんたちのボランティアによって、作業は手際よく快調に進んだ。見学にきた幼稚園の子供たちは声を出して喜び、手をくっつけたりほおをくっつけたりして、冷たい雪だるまの感触を楽しんでいる。学校帰りの小学生たちは作るのを手伝って大はしゃぎ、通行中の大人もその大きさと数の多さに驚いて足を止めた。その晩には作業の様子がテレビのニュースで紹介され、翌朝には何紙もの新聞が写真入りで記事にしてくれた。スキー場の宣伝を兼ねた抽選会にも大行列ができたし、スタッフは街の人たちから親しく声をかけられ親切にしてもらった。初めて尽くしで不安と期待の入り交じった一大行事は、こうして順調に運んだ。

 最終日、後片付けをし、残った雪と道具を積んだトラックが東京をたったのは、夜中の零時半、街の人たちが大勢で見送ってくれた。職員の一人は、振ってくれる手を見て「涙が出ちゃいました」と言っていた。後にいただいた商店会の会長さんの手紙には、二週間たってもまだ街の人々に大きな雪だるまの感動が残っていること、人出も例年になく多く売り上げにも大きく貢献したことなど、イベントは大成功だったと書かれてあった。

 来年もまた工夫を凝らして出かけて行こう、子供たちの笑顔に会いに行こう、小さな努力かもしれないが、心のこもった誠実な行動が村を訪れる人の数を増やすはずだし、私たちの嬬恋を愛してくれる人を増やすことにもなる。そしてそれを観光のためだけでなく、近年相場に恵まれないでいるキャベツ産地の、より一層の発展にもつなげたいものだと思う。確かな経済基盤と豊かな生活を手に入れるということは、そうした真摯(しんし)で地道な行動の積み重ねの先にこそあるものだと考える。

(上毛新聞 2002年3月23日掲載)