視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
日本ラグビーフットボール協会理事会計役 
真下昇 さん
(横浜市港北区大豆戸町)

【略歴】高崎高、東京教育大卒。学生、社会人ラグビー選手として活躍。元日本協会レフェリー委員長。国際レフェリーを国内最高齢の54歳まで務めた。クボタ・マーケティング推進部理事。


仰げば尊し

◎将来見据えるよい機会

 私が小学校、中学校を卒業してすでに五十余年が過ぎた。今、当時を振り返ってみると、卒業式で歌った「仰げば尊し我が師の恩」の歌が懐かしく思い出される。歌っていたころはなにぶんにも十代前半の年齢で理解できない章句もあったわけだが、その中で「身を立て名をあげ」の部分は子供ながらに非常に印象的な部分であった。

 当時は終戦直後で日本中に物はなく貧しい生活環境の中で学校生活を送り、行く先不安な社会構造の中でどう生きていくのか、子供ゆえの漠然とした不安な思いを抱え卒業式に臨んだ。この歌を歌いながら子供心に「よし、立派な大人になってみせる」と誓ったことを覚えている。

 そのような思いをもとに学業の中でさまざまなことに接し、学んできた。特に私は運動が好きであり、スポーツ人として身を立てようと思っていた。幸いにしてプロスポーツではなかったがラグビーと出合い、良い人生を過ごせたと思っている。高崎高校からラグビーを始めたのだが、最初は練習がきつく体が慣れるまで大変な思いをした。小学生の時、将来何になりたいかと聞かれると、プロ野球の選手と答えたくらい、小・中学時代は野球に打ち込んでいたが、その体力もラグビーには全く通用せず、練習から帰れば食べて寝るだけの毎日であった。

 当然学校の授業についていけるわけはなく、成績には赤点が並ぶこととなった。母親からは即ラグビーをやめ、勉強に専念するよう言い渡されたが、ラグビーをやめたくない一心で家に帰ってから多少教科書を開くように努力したものである。そのうちに体力もつきチームも国体優勝、全国大会ベスト4という成績で勝つ喜びも知り大いに自信を持つこともできた。また、一度始めたことは最後までやり遂げるということを学んだ時期でもある。

 人間は、目標を持ちそれに一歩ずつ近づく努力をする過程で成長するのだと思う。しかし、これだけわれわれが頑張ることができたのは故岡田由重先生の指導なしには考えられない。先生は毎日一番先にきちっとしたユニホーム姿でグラウンドに立ち、われわれを待ち構えていらしたのである。この情熱がわれわれに勇気とやる気を起こさせたのである。後年私がレフェリーとして活躍していた時期にも随分励ましていただいた。この「我が師の恩」が私の人生の支えになり、選手、レフェリー、ラグビー協会役員と五十年近くにわたるラグビー人生を送ることができたのである。

 六十歳を過ぎ振り返ってみると、当時誓った「立派な大人」というのとはいささか約束違反の人生ではあったが、私なりにスポーツを通じて多少社会に役立つことができたのではないかと自負している。現在では卒業式で「仰げば尊し」を歌う学校が少なくなっていると聞く。社会世相も当時と違い、今この歌詞が子供たちにそれほど感銘を与えるものではないかもしれない。しかし私は卒業という大きな節目に自分の将来に大きな目標を立て頑張ろうと心に決めるよい機会となるのではないかと考えるのである。



(上毛新聞 2002年3月26日掲載)