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詩人・斎田 朋雄さん(富岡市富岡 )

【略歴】甘楽町生まれ。小学校高等科卒。スポーツ用品店を営みながら執筆活動を展開。53年に総合文学誌「西毛文学」を創刊した。元富岡市文化協会長。詩集は65年の「ムシバガイタイ」など。



富岡製糸場


◎公有化し文化財指定を

 群馬県が、地域振興策として「一郷一学」運動を提唱している。群馬は古代以降、歴史文化の宝庫地帯であり、県内至る所にそれぞれの文化財を持つ。その魅力を地域住民が再評価して掘り起こすことは、市民文化の大切な柱の一つである。そして何といっても群馬は蚕糸業のメッカであったことに、独特のカラーを持つ。

 その象徴的遺産として、旧官営富岡製糸場がある。シルク産業は、明治の開国以来日本の近代国家として国力を築くための重要産業であった。まだ基礎の定まらない維新政府が明治五年、国力を傾けて創建した洋式製糸模範工場で、フランス人技手を招いて工場建設と操糸技術を学んだ。全くの後進国であった当時の日本が、すでに産業革命を果たしていた西欧の新しい産業技術を、事始め式に群馬の富岡で始めたのである。

 富岡製糸場の創業前後の姿は、れんが積み、ガラス張り、蒸気機関動力と、何もかも初めて見る世紀のロマンであった。フランス人がブドウ酒を飲むのをみて「生き血を吸われる」とうわさされた時代である。木柱れんが積みの見事な建造美を誇る工場建造物は、繭倉庫が東西二棟百五メートルの堂々たる威容、製糸本棟は百四十メートルの広大な建物で、それに加えてフランス人技手たちの宿舎、「ブリュナー館」と呼ばれる瀟洒(しょうしゃ)な建物まで、百数十年を経たいまもその見事な原形を保っている。

 輸出産業として優秀な製品を作るために、維新政府が全国から伝習工女をここに集めて洋式製糸技術を学ばせて、それを持ち帰り広めた。まさに産業事始めであった。国造りの壮大なロマンが展開されたと言える。日本の近代国家、近代産業がここを起点に始められたと言える。蚕糸業のメッカたるゆえんである。

 シルク産業は戦後は斜陽化して、今は昔日の面影はない。富岡製糸場は明治の初めは国営、その後は民営に移り変わり、戦中戦後は片倉工業の経営で続けられていたが、十年程前に遂に操業を停止してしまった。いまは富岡市の真ん中に、その遺構はひっそりと、しかし歴史とロマンを秘めた聖地のように守られてある。今は片倉工業の所有であるが、できることなら公有化して、国の近代化産業遺跡として文化財指定もあるべきと思う。

 さきに書いた一郷一学の地域おこしに、この旧富岡官営製糸場を愛護保存する住民運動が富岡甘楽地域で始められている。「富岡製糸場を愛する会」の名称で、初めは田村利良甘楽町元町長が提唱されて、富岡甘楽広域圏の地域活性化の一つの目玉として、貴重な文化財としての富岡製糸場をよく知り合う、学び合う住民運動として、すでに富岡市、甘楽町、下仁田町で数回の住民集会を開催している。

 来る五月十九日には、妙義町東部公民館で「富岡製糸場を学び合う集い」を開催する。講師は『かわたれの槌音』の著者田村貞雄、『赤煉瓦物語』の著者斎田朋雄、また戦前同製糸工場で働いた天野トモさんの思い出の記の朗読などが予定されている。

 「一郷一学」の実践活動の実例として評価できると思う。


(上毛新聞 2002年5月3日掲載)