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民俗研究家 板橋春夫さん(伊勢崎市今泉町 )

【略歴】国学院大学卒。76年、伊勢崎市役所に入り図書館、市史編さん室、公民館を経て、98年から文書広報課。80年に群馬歴史民俗研究会を設立し現在代表。98年から日本民俗学会理事も務める。




長寿銭

◎現代を象徴する新習俗

  平成九年十二月、妻が葬儀で「長寿銭」と印刷された祝い小袋をもらってきた。中に入っていたのは百円と五円の硬貨。数え百四歳で亡くなった人の葬儀で配られたものである。これが私と長寿銭との出合いであった。初めてもらった人はとまどうようである。年祝いを重ねてきた長寿者の葬式で出される長寿銭は、人々にある種の驚きと感動を与える。

 わが国は人口の高齢化が急速に進み、六十五歳以上人口の総人口に占める割合は、一九五〇(昭和二十五)年を境に増加の一途をたどっている。七〇年に7%を超し、二〇二〇年には25%を超えるといわれる。高齢者人口は確実に増加し大きな社会問題になっている。

 高齢者人口の増加が端的に分かる例として百歳人口をみよう。老人福祉法が制定された一九六三(昭和三十八)年の百歳以上は百五十三人であった。それが八一年に千七十二人と初めて千人を超した。九四年には五千五百九十三人、九八年には一万百五十八人となった。まさに百歳一万人時代を迎えたのである。

 安中市では、長寿者の葬式に使った銘旗(めいき)を小さく切って持っていると病気にかからず長生きできると伝わる。山田郡大間々町では、八十八歳の祝いに火吹き竹を配ったが、火吹き竹に付いていた紅白のひもを産婦が腰ひもに使うと、生まれてくる赤ちゃんが長寿にあやかるという。高齢者の葬式で使用したものを身につけるのは、長命にあやかりたいという意識のもとに成立した習俗である。

 葬式のときに花かごから撒(ま)かれるお金を拾うが、このお金は使い切るもので家に持ち帰ってはいけない。撒き銭は本来死者のケガレを分散することにあり、そのために使い切るのである。しかし、高齢者の場合はそれを保存しておくことがあった。長寿銭は、この撒き銭が変化したものと考えられている。

 長寿銭はいったいどこで始まったのだろうか。これには今のところまったく答えられないが、少なくとも埼玉県秩父地方では昭和三十年代から行われていたことが分かっている。秩父地方では花かごで撒いたお金を高齢者に限って「長寿袋」という名で葬儀の際に参列者へ配った。秩父地方の葬儀に参列した人を介して次第に広まっていったのではないか。分布は群馬県と埼玉県が中心であるが、東京都葛飾区でも「白寿、子供一同」と書かれた祝い小袋を出した例が報告されている。「長寿銭」とは書いてないが同じものである。

 長寿銭の小袋に入る硬貨の金額は百円、五円、五十円、五百円である。百円は百歳に、五円は「ご縁」の語呂合わせであろう。また、長寿銭を出す年齢は九十歳以上という例が圧倒的に多い。長寿銭をカバンや財布に入れておくのは、長寿にあやかるというお守り意識が感じられる。この長寿銭は現代の長寿社会を象徴した新しい習俗といえよう。



(上毛新聞 2002年5月20日掲載)