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前橋育英高校教諭・群馬陸上競技協会強化部強化委員長 
安達 友信 さん
(伊勢崎市八坂町 )

【略歴】中之条高校、順大体育学部卒。86年から前橋育英高校教諭。現役時代は中距離選手としてインターハイ、全国高校駅伝、インカレ、国体などで活躍。監督では県総体、県高校駅伝など優勝。

男泣き 



◎とことん取り組んだ証

 サッカーのワールドカップに日本中が、いや世界が盛り上がり、絶叫した。とかく暗いニュースの多い最近の日本においては、久しぶりに「やったー」とこぶしを振り上げ無意識にガッツポーズをとっていたという人も少なくなかっただろう。それにしても勝負とは無情で、実力が拮抗(きっこう)しお互いに全力を尽くしての試合ではまさに「神のみぞ知る試合の結果」が出るまでは己を信じ、チームを信じて戦う。実力とは日々の努力により培われるものではあるが、どんなに実力をつけても勝てる保証のないのが勝負である。精神面、体力面、技術面、すべて強化されたと思っても、「絶対」はないものである。

 ここ数年、日本人男性が涙もろくなったという声を聞く。そういえばスポーツ選手の涙を結果の良しあしにかかわりなくよく見かける。また、大手企業の破綻(たん)、政治家の更迭などを取材した場面でも男の涙を見る。一昔前ならば「男なら泣くんじゃねえ」と一喝されていたであろう。その「男泣き」を国語辞典で見ると、めったに泣かないはずの男が激情にたえかねて泣くこととある。なぜ日本人が涙もろくなったかは定かでないが、感情表現が豊かになり喜怒哀楽を表に出すようになったことは事実であろう。私自身としては陸上競技の指導者として二十年もの歳月がたつが、本校の生徒が試合に負けて落胆しグラウンドに倒れ込み、ボロボロに泣きじゃくり、起き上がれずにいるところ雑誌の記者の目にとまり、熱き高校総体の様子を伝える記事になったことが頭から離れない。当然私自身もどうにもならないほどのショックを受けた。その後十年以上たったが、あのときのような大ショックを受けるだけの執念をいつも持ちつつ指導にあたりたいと考えている。

 スポーツ選手が引退を決意した理由として「勝ちにこだわる執念がなくなった」「相手に負けたことが悔しくなくなった」などを挙げる。一方すばらしい復活を遂げた選手はどん底の中にもかすかな光を求めて試行錯誤を繰り返し、年齢を超越して進化した姿でプレーする。七年ぶりにツアー優勝をしたプロゴルファー中嶋選手はまさに感動の復活を遂げた。そういえばサッカー日本チームの活躍も前々回のアジア予選「ドーハの悲劇」から始まったように思う。

 陸上界に限らず他の多くの競技で若手指導者の台頭が待ち望まれていると聞くが、皆、指導がスマートでおとなしい。うれし涙もないが、悔し涙もない。常に練習に出られない理由、勝てない理由を持っている。勝ちやすい環境、勝ちにくい環境。いろいろと差があるだろうが「男泣き」の機会は誰にも与えられているはず。とことんやって悔し涙もかれたころ、新しい何かが見え、夢に向かって進化した自分があることを信じ、頑張ってほしい。われわれ中年組もまだまだ涙は残っている。

(上毛新聞 2002年7月2日掲載)