視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
農業 橋場 幸夫 さん(笠懸町久宮 )

【略歴】桐生商卒。事務所勤務を経て83年就農。元桐生地区青年農業士会会長。笠懸町で、年齢を超えた仲間とともに地域の活性化を目指す「昭和群(むら)おこし会」を結成、代表を務めた。

島唄



◎国を超えた哀悼の歌

ワールドカップ・サッカーは大変な盛り上がりのうちに終了しました。さまざまな国の選手が日本にも訪れましたが、その中でアルゼンチンチームの応援歌が日本語で歌う「島唄」だったのには驚きました。

 「島唄」は日本の「ブーム」というバンドの曲で数年前に日本で大ヒットしました。私も大変好きで、しまう〜たよ〜風にのり〜と、覚えている部分だけですが、時々口ずさんだりします。アルゼンチンで活躍する歌手の方が日本に来た際にこの曲を聴き、感銘を受け現地で発表したところ大ヒットしたそうです。

 沖縄独特の音階が美しいこの曲ですが、作った「ブーム」のメンバーは山梨県出身とのこと。沖縄音楽の特徴を取り入れた曲を作るために訪れた沖縄で、豊かな音楽・文化とは相反する悲しい歴史がある事実を知り、思いの丈を込めて「島唄」を作曲したそうです。

 沖縄と内地(日本本土)との複雑な関係は江戸幕府による琉球統治から現在の基地問題まで長い間続いています。私も沖縄を訪れた際に「ひめゆりの塔」で語られる太平洋戦争末期の悲劇が、沖縄地上戦惨劇のほんの一例であることを知りました。

 摩文仁の丘にある平和祈念資料館内の「証言の部屋」では、戦火にさらされ極限状態に置かれた人間の、救いようのない悲しみに足のすくむ思いをしました。沖縄の人々の尊い犠牲の上に、今の私たちの平和な暮らしがあるのだと思わずにはいられません。沖縄への哀悼と敬愛を込めた「島唄」が言葉を超え、国を超えて親しまれていることを私は心からうれしいと思います。

 有史以来、人類は力ずく、武力ずくで自分の都合を通そうとしてきました。残念なことに二十一世紀を迎えても、いまだに続いています。でも個人個人は決して争いが好きなはずはありません。情報流通が発達してきた現在、人種や文化の違いを理解する余裕も出てきたと思います。

 今回のW杯サッカー、そして「島唄」で感じたように、スポーツや芸術文化こそが世界の人々の平和な営みの懸け橋になるものと期待しています。それは誰もがスポーツ選手や音楽家・芸術家になれということではなく、サッカーには欠かせない「サポーター」やW杯を成功させようと活躍した「ボランティア」でよいのだと思います。

 私たちがその一端を担うチャンスは“四年に一度”のことではなく、私たちの身の回りにあります。地元で行われる納涼祭、運動会、文化祭などさまざまなイベントがそうではないでしょうか? そこには必ず誰かの熱い思いがあり、それらを成功させようと試行錯誤する取り組みは世界大会のそれと、何ら違いはありません。中にはライフワーク、“生きがい”にしている人もいたりします。

 W杯は終わりましたが、これからの季節は地元のイベントがめじろ押しです。積極的に参画し、現地サポーターとして応援し、心から楽しみましょう。そこに世界の縮図があると思います。

(上毛新聞 2002年7月8日掲載)