視点 オピニオン21
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ライター・エッセイスト 橋本 淳司 さん(館林市代官町 )

【略歴】学習院大文学部卒。「水と人」をメーンテーマに新聞・雑誌やネット上で執筆活動を行い、著書を出す傍ら、企業取材を通じ起業、経営の在り方を学ぶ。ネット上の企画オフィスを主宰。

ボトル入り飲料



◎水は金持ちへ流れる


 ボトル入り飲料水(一般的にはミネラルウオーターと呼ばれるが、ミネラル分が含まれていない水もあるので、こう呼ぶことにする)が売れている。もともと夏場は水がよく売れるものだが、健康志向の高まり、水道水への不満・不安などが重なり、スーパーやコンビニの水売り場は最近ずいぶん広くなった。

 ボトル入り飲料水の売り上げは、一九八九年に国産・輸入合わせて十一万九千立方メートルだったが、一九九九年には国産品八十九万四千立方メートル、輸入品十九万五千立方メートル、合計百八万九千立方メートルで、過去十年で約九・二倍に拡大した。民間企業が行った調査によると、日常的にボトル入り飲料水を買う人は38%、東京都に限ると61%に上る。

 忘れてはならないのは(当たり前のことだが…)、ボトル入り飲料水が商品だということだ。企業が水源を買収し、そこから汲(く)み上げた水に値付けをして販売している。商品である以上、需要と供給のバランスに支配され、需要が多く、供給が少なければ高価格でも売れる。今日二百円で買った水が明日も二百円という保証はない。現在、企業による水源買収が大々的に行われているが、それは近い将来、水が莫大(ばくだい)なカネを生むと考えられているからだ。彼らは水のことを「ブルーゴールド」と呼ぶが、彼らが水源を掘りあさる姿は、かつてのゴールドラッシュの狂乱ぶりを彷彿(ほうふつ)とさせる。

 ただし、彼らの様子を眺めているわけにはいかない。水は尽きることなく供給されるものではないからだ。独占が進めば自由に使える水は少なくなる。ただでさえ、私たちが利用できる淡水は、地球上の総水量のたった0・5%以下にすぎない。残りは海水、もしくは極地にある氷だ。一方で、全世界の水消費量は二十年ごとに倍加し続けている。もし今のペースで水の消費量が増え続けると、二〇二五年には、現時点での供給可能な水量を56%上回る水需要が生じる。

 世界銀行の発表によると、現在すでに世界の八十カ国が水不足の問題を抱えている。十億人以上が安全な水を飲めず、毎年一千万人が汚れた飲み水から感染した病気で命を落としている。二十年後、世界人口は八十億人になると三人に一人が水不足に直面するという予測もある。

 水不足や汚染が深刻化すれば、企業により独占され、商品化された水の値段は上がる。そこに企業のねらいがある。たとえ価格が高くても、富裕層はますますボトル入り飲料水を好んで求めるようになり、価格高騰に拍車をかける。一方、低所得者にとっては水を得ることがたいへんな負担になる。現在でもインドの一部家庭では、収入の25%という驚くべき大きな割合を水に支払っている。平たく言えば、安全な飲料水は金持ちだけのものになる可能性がある。「水はカネのあるところに向かって流れる」と懸念されるのは、そういうわけだ。

 かつてすべての人類が自由に使える共有財産だった水は、今や石油のように貴重で希少な商品に変貌(ぼう)しつつある。生きていくうえで最低限の必要を満たすために清潔な水を得ることは誰にでも平等に保障されるべき、当然の権利だ。ボトル入り飲料水を購入することの意味を見つめ直すとともに、身の回りの水をこれ以上悪化させない手段を考えるべきだろう。


(上毛新聞 2002年7月17日掲載)