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高崎・歴史的建造物案内人 平野 博司 さん(高崎市飯塚町 )

【略歴】高崎市出身、72年、中央高校卒。家業の平野工務店に入社、40歳で前橋工業短大卒業、日本製粉高崎工場、旧高崎市庁舎、井上邸などを調査。

職人



◎仕事にこだわりと自信

 私は気がめいった時、W・B&L(ウエスト・ブルース・アンド・レイング)の「ホワイ・ドンチャ」を聴くと元気が回復する。また、心が静まっている時はS&G(サイモン・アンド・ガーファンクル)が良い。頭の中の汚染物質がすべて放出されるようである。

 私は、以前から高崎を造った人々と言える高崎の建設業者の歴史や職人などについて興味を持ち、また、調べてきた。そこで今回、哲学堂が入手した井上邸(旧井上房一郎邸)についても調べた。井上邸は昭和二十年代に造られた。築後五十年ほど経過しているので、調査は難航した。当時建築を担当した大工さんを調べたが、当時の大工さんは愛称でしか記録がなく、「ツルサン」「オークラ親子」「クマサン」「サノのトーチャン」たちが担当したということだった。

 そして、五十年たった現在、それぞれの棟梁(りょう)の弟子たちが健在であることが分かり、先日、その内、四人の方に、また、鳶(とび)工事の担当者、鉄工事の担当者の二人の計六人に井上邸に集まっていただき、当時の話を聞くことができた。仕事の話はもちろん、井上房一郎の建築への深いこだわりを表す幾つものエピソードも聞け、充実した会であった。

 後日、聞き取り調査について報告会を開いたが、井上邸建設に従事した大工さんの内二人に参加していただき当時の話をしてもらい、聴衆の方々は大工さんの生きた話に大喜びであった。

 井上邸を建てるに当たって電動工具はなく、すべて手作業であったこと。ほとんどの寸法はさしがね一本で決めたこと。また、そんな技術を棟梁に教えてもらおうと申し込むと、「見て覚えろ」といわれ、作業を見てると「何、見てやがる。仕事しろ」と、玄能(げんのう)や鉋(かんな)でぶたれたこと。そして、技を極めるのには、仕事が終わって寝る前の時間を使って練習したことなどいろいろな話を聞けた。

 歴史的建造物を調べると、棟札に棟梁の名などが記されていることがある。自分の仕事に職人として絶対の自信を持っているのであろうか。儀礼的風習を超え、棟梁の晴れやかな姿が想像される。

 現在、職人の地位が不確かである。職人気質(かたぎ)の変化もあるだろうが。物を作り出す行為そのものが敬遠されているようである。町のあちこちでさまざまな職人がいろいろな物を造り出している、そんな職人の町はできないであろうか。

 さまざまな講演会や、シンポジウムが開かれている。登壇者、パネリストとなる人たちはある基準で選ばれた人たちである。しかし、世の中のあらゆる所に、多くの才能があり、また、しがらみに束縛されない自由な素晴らしい人たちがいる。私は今まで、そんな人たちと付き合い、また、話を一生懸命聞いてきた。そこには、学問、常識、マニュアル通りに説明できない面白い話がたくさんあった。

 こんな生意気を言っていると、職人さんたちに「きゅうすじゃあるめえし、横から口だすんじゃねえ」と怒られるかな。

(上毛新聞 2002年8月10日掲載)