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民俗研究家 板橋 春夫さん(伊勢崎市今泉町 )

【略歴】国学院大学卒。76年、伊勢崎市役所に入り図書館、市史編さん室、公民館を経て、98年から文書広報課。80年に群馬歴史民俗研究会を設立し現在代表。98年から日本民俗学会理事も務める。

死者の記憶



◎盆や彼岸が重要な役割

 死者のたましいの記憶はいつまで残るのだろうか。人の生命は限りがあり、いずれは死ぬ。一般に死者の記憶というのは、実際に生活の時空を共有した人たちに限定される。

 たとえば、よちよち歩きを始めたころに亡くなったおじいさんを孫は記憶していないが、十代であれば鮮明に覚えているだろう。その孫が成人し、おじいさんの三十三年忌供養を済ませるころは、おじいさんを知る人は年々減っていく。ひ孫たちは、墓石に彫られた名前を見ながら生前のおじいさんを知る人に話を聞いてはじめてその人となりを知る。

 柳田国男『明治大正史世相篇(へん)』には、冬の寒い雨の日、九十五歳になる老人が警察に保護された話が載っている。老人が背負っていた風呂敷(ふろしき)包みの中には四十五枚の位牌(はい)が入っていただけであったという。この位牌を代々供養していくためには家の永続が図られねばならないのである。

 死後に祖霊として祭られることが幸福であるという思想は、家の永続の願いとともに人々の先祖観や人生観を形成した。先祖と子孫の関係は常に繰り返し確認されてきたのである。毎年反復される盆の先祖迎えや彼岸の墓参りがそれにあたるし、孫の命名に祖父母の名前を一字用いる祖名継承もその部類に入る。このように盆・彼岸や祖名継承、年忌供養、墓石・位牌は、死者を記憶する行事や装置として重要な役割を果たしてきた。

 また、赤子が生まれると誰に似ているかが話題になる。特に祖父母が他界しているときは、赤子の中に祖父母の面影を見つけようとする。生前の祖父母に面識のない若い産婦にとっては蚊帳の外であり、祝うべき誕生に死んだ人が話題になるので不思議な気分になるだろう。しかし。赤子の誕生は先祖の生まれ変わりと考えた時代の人々の心意を知れば、ごく自然なやりとりであることが理解できる。

 現在でも、何かをやり直したり強い意志で物事にあたるときなどに「死んだつもりになる」「生まれ変わってがんばる」という言葉が無意識に使われることがある。これも生まれ変わりの思考が潜在的にあるのかもしれない。

 人が亡くなった直後に生まれた赤子は、その故人の生まれ変わりであるという伝承が各地に伝わる。生まれ変わりの存在を信じるとすれば、どのような前提に立たなければならないのか。まず死者のたましいが何らかの形でその赤子に入ったと考えなければ成り立たない。たましいが身体を離れて浮遊するという思考が前提にあり、生命観は連続する円環的なものととらえられている。

 一方、生まれ変わりを信じないとすれば、死者のたましいは存在せず肉体が減びるだけという思考で、個人の死は連続せずに断絶する直線的な生命観である。現代社会の生死を考える場合、円環的生命観だけでなく直線的生命観も視野に入れていく必要がある。

(上毛新聞 2002年8月31日掲載)