視点 オピニオン21
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パーソナリティー 久林 純子さん(高崎市貝沢町)

【略歴】高崎女子高校、国学院大文学部卒、県立女子大大学院日本文学専攻修了。ラジオ高崎アナウンサーを経て現在フリー。「どこ吹く風」などを担当。県観光審議会委員、高崎経済大非常勤講師。

言葉は生き物



◎失敗を恐れず日々格闘

 朝起きてみると、何だか足が痛い。どうやら筋肉痛らしい。太ももからふくらはぎにかけて、特にひざの裏の辺りが痛みを訴える。でもどうして? 全く心当たりがなかったが、原因がなければ筋肉痛にはならなかろう。普段と変わらないはずの昨日の一日を振り返った。

 そう言えば…。昨日はNHK第二放送をBGMに、息子(七カ月)の相手をしていた。英会話や小説朗読の合間に、ラジオ体操のあのテーマソングが流れてきた。懐かしさに笑いがこみ上げ、第一と第二体操の間に、おなじみのナレーションとピアノ伴奏に合わせて、ひざの屈伸運動をしたのだった。「ひざの曲げ伸ばーし」は運動不足の身体に、イッチニッ、ちょうど良いストレッチ体操だった。どうやら熱心にやったらしい。で、このザマである。

 こんなことで筋肉痛になってしまう自分の体が情けなかった。ラジオ体操なんてとバカにしていたころがなつかしい。年齢とともに老化した体は、使わなければ衰え、使い続ければ特に鍛えなくても現役であり続ける、という当たり前のことを再確認させてくれたのだった。これは何も体に限ったことではない。

 例えば乱れを憂う人の多い日本語。「最近の若者は…」という小姑(こじゅうと)じみたことを言う前に、果たして自分はどうなのか。「ら」抜きや「れ」足す言葉はそんなに良くないのか。開き直るつもりはないが言葉は生き物。時代に合わせて言葉を単純にしつつ、意味をはっきり表現したいという昔から繰り返されてきた習性で、調査結果、古い方言表現の復活というものも中にはあるのだ。「最近のアナウンサーは」と日本語の乱れの根源悪のように言われることの増えたわれわれだが、言葉と適当に向き合っている仲間など一人もいない。やゆされながらも失敗を恐れず、日々言葉と格闘しているのだ。

 責任の一部は認めるにしても、それ以上に身近にいる家族が言葉に敏感になり、学校教育でも教科に限ることなく、すべての教師が正しい日本語を指南するよう心がければ、日本人の憂いもひとつ減るのではなかろうか。正しい日本語といわれる言葉を使っていないから、衰え、次の世代に伝わりきらないだけの話ではないのか。

 九月十六日に、群馬町の土屋文明記念文学館で絵本・詩の朗読をすることになった。テーマは「愛をみつめて」。諸先輩方を差し置いて文学作品の朗読をするのは大変勇気のいることだが、私の使命はキレイ・正しい以上に魂を言葉に込めて伝えることにあると思っている。憶病がって言葉の筋肉痛になってはそれこそ大変。ここは思い切って私なりにやってみよう。作品の一文字一文字に込められた作者の愛を、私の声を通して来館された方々に伝えてみよう。もし気に入った言葉に出合ったら、どうぞ自分の中に取り入れ、言葉の筋力として蓄えてください。

(上毛新聞 2002年9月3日掲載)