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木工家 大野 修志さん(上野村新羽)

【略歴】北海道生まれ。千葉、東京での生活を経て89年に上野村へ。村森林組合銘木工芸センター勤務後、92年独立し「木まま工房」設立。県ウッドクラフト作家協会事務局長。村木工家協会副会長。

田舎暮らし



◎居心地いい生活空間

 私がこの山村での暮らしを求めて住み始めたのが、もう十四年も前になります。なぜこの生活を求めてきたのか、今一度考えてみました。

 ここに住むまでの私は、北海道に生まれてから、親の転職で千葉へ越し、高校を卒業の後東京で就職、そして上野村への移住となります。

 なぜ山村での生活を望むようになったのかというと、生まれたのが山村であり、その環境を懐かしく感じていたこと、千葉で過ごした学生時代の生活環境や、東京で生活をして感じていたことなどが重なりあってのことでした。

 具体的には、七歳までいた北海道の自然の中で、さまざまな遊びをして過ごしたこと。その後越した千葉でも、田んぼや畑に囲まれたフィールドで遊んだこと。今思えば、私の少年時代は、遊ぶことが生活でした。それから社会人になり、仕事という労働をしてお金をもらう生活になりました。都会での生活は、このお金というものをいろいろな形にかえることができる便利な場所で、そこに暮らすことがとても幸せであるという感覚になっていました。最初の幾年かは、こういう気持ちで過ごしていましたが、時々郊外での遊びを求めて週末を過ごしているうちにふと思うことがありました。生活とは何だろうと思うようになったのです。

 子供のころ過ごした居心地のいい場所に大人になってまた来ている。都会での生活は便利だけれどもはたして居心地はどうだろう。そのことをよく考えてみると、都会とは自分の欲するものが手に入るとても便利な場所であり、反対に不便ということを感じずに生活できる場所でした。子供のころに自然を相手に自分からさまざまな遊びを考え、実行し、喜びを感じたこの生活感が共有できる空間には便利だとか不便などの言葉はなかったはずですが、大人になるとそれが当然のように思われるようになってきています。

 私自身もいつのまにかそれを普通であるかのように生活を送っていましたが、なぜか次第に生活することが重苦しくなり、自分は何のために生きているのだろうと考えはじめました。それからいろいろと考えていくうちに自分自身とは何なのか、自分自身では何をしたいのかをしっかり考えてみました。

 その結果は、ただ生活を送っている自分が見え、社会という中に流されているだけの自分を自覚し、この生活を変えたいという気持ちになりました。私の親は生活を支えるために住むところを変えました。当時ではほとんどの人が同じような目的のために一生懸命生活していました。現在でももちろん同じですが、私にとって都会での生活は、一生懸命に生きたいという場所でないことに気付きました。自分の生活は、子供のころの記憶の場所で本当にしたい生活をすることであり、たぶん生きているという実感をもちながら生活を楽しみ、幸福を感じるのだろうと考えたわけです。そして過ごした十四年、来て良かったといえる日々を過ごしています。

(上毛新聞 2002年9月10日掲載)