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高崎周辺ダウン症児・者とともに生きる まゆの会代表 
濱村 泰明さん
(高崎市昭和町)

【略歴】前橋高校、千葉大学人文学部国文学科卒業。東京都内の出版社勤務の後、フリーランス・エディター(書籍編集業)になり、現在に至る。高崎に居住して8年。子ども3人の父子家庭。

障害



◎個人を超え人類の問題

 私事で恐縮だが、八月に脳内出血で意識を失って救急車で運ばれ、十日ほど入院した。検査の結果、脳の血管に先天的な奇形があり、五十四歳になって初めていわば障害があることが判明した。手術をすれば完治するが、一昔以上前であれば、原因不明のままに大きな後遺障害が残ったはずである(現在もその恐れはあるが、割合はかなり小さい)。私などよりはるかに重い疾患などに対する医療・予防も大きく進んでいる。これはいうまでもなく二十一世紀という時代の医・科学をはじめとする文明の進歩と、その恩恵を受けることができる日本という地に生きていることによる。

 アフリカでは、ダウン症だけでなく先天的な障害のある子どもは少ない。乳児死亡率は、アフリカで最も高いシエラレオネで一六九(世界銀行資料、日本では四)。生まれてから一歳になるまでに千人中百六十九人が死んでしまう。日本でも十数年ほど前までは、ダウン症候群の二人に一人は心臓に重い疾患を持って生まれてくることもあるため、「ダウン症の子どもは長生きしない」といわれた。しかし、心臓の手術をはじめ医療・保健の発達によって、ようやくその生を全うすることができるようになった。この間の彼らの発達には目を見張るものがある。彼らがいたおかげで、医療だけでなく教育なども大きく進歩した(障害児教育の発展は「健常」児教育に大きくはねかえる)。それなのに、「医学」のさらなる「発展」によって、今度はその生を奪われようとしている。

 出生前診断。妊娠中の母胎のトリプル(母体血清)マーカーテストによって、胎児のダウン症などの割合が簡単に検査できるようになった。確率が低い、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)が不十分などの問題があるにもかかわらず瞬く間に普及し、検査結果による人工妊娠中絶の多さに産科医が不安を覚えるほどになってしまっている。

 ここで問題になるのは、相変わらずの法的整備の立ち遅れ、先端医療・産科医の生命倫理、そして妊婦の不安である。こんな例がある。オーストラリアの妊娠女性の講座で「ダウン症の場合に中絶するか?」とたずねたところ、日本人の駐在員の奧さんたった一人が手を挙げ、周りから「なぜ」と声があがったという。キリスト教社会ではダウン症児は「エンジェルベビー」といわれ、親は特別な選ばれた存在とされる。カトリックでは中絶・避妊を認めないため、障害児が生まれたときにどう考えたらいいかを明確にしておく必要があったとはいえ、障害に対する認識が個人の感覚に根付いているといえよう。

 人は生まれたとき、目も見えず、話すことも歩くこともできない。年老いて老眼になり、耳が遠くなり、「ぼけ」、身体が不自由になる。あえていえば、人は障害者として生まれ、障害者として死ぬ。障害はただ単に個人の問題ではなく、人類全体の問題であることを認識することが、障害児とその家族を支える社会体制づくりを踏み出す一歩だと思う。

(上毛新聞 2002年10月3日掲載)