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ケアホーム「家族の家新里」施設長 渡辺 高行さん(新里村新川)

【略歴】専修大経営学部卒。県内の老健施設勤務後、95年に痴ほう性老人のグループホーム「ケアホーム『家族の家新里』」を設立した。県痴呆(ちほう)性高齢者グループホーム連絡協議会副会長。

サービスの基本


◎求めているものを提供

 私は、前回までに、痴呆(ちほう)性高齢者にとっての、普通の生活の重要性と、ホームでのみとり、ターミナルケアについて述べてきた。では、痴呆性高齢者介護の切り札と期待され、県内だけでも百四十ユニット(約千二百六十床、人口一万人当たり全国三位)を突破した痴呆性高齢者グループホームの課題はどのようなものであろうか。

 まず、制度における課題は、利用料の個人負担の重さを挙げなければならない。要介護度の低い方でも十万円は必要であり、ホームによっては十五万円以上のケースも出てくる。本人が厚生年金受給者であれば何とかなる金額であるが、農山村部の国民年金受給者では到底払いきれない。入居希望はあっても、利用料が高すぎるためにあきらめざるを得ないのが現実である。ホテルコストの個人負担が時代の流れといっても、家族の苦しみを思うと疑問に思わざるを得ない。利用料負担が困難な方のために、特例処置を考えるべきではないだろうか。

 次に、介護の質の問題がある。多様な法人の参入が可能となり、一部、利益目的のみの劣悪な事業者参入が見られる。しかし、これは過渡的な現象と見たい。数の増加とともに、ケアサービスの質が厳密に問われる時が近い将来来ることが予想される。そうなれば、質を確保できない業者は消えていくしかない。十月から開始になった第三者評価は、この面で効果を発揮すると思われる。むしろ、私が心配しているのは、この第三者評価にもかからないケースが増加していることである。すなわち、本来、グループホームは家であり、安住のすみかであった。多くの先駆者たちは、既存の大規模施設介護に強い疑問を持ち、熱い思いだけで痴呆をお持ちの高齢者とともに生活をしてきたのである。

 ところが、介護保険制度施行後のグループホームの中にはついのすみかとしての役割を放棄しているとしか思えないところが少なからず開設している。すなわち、入居時に、排せつの自立ができていない方、はいかいがある方などが入居を断られる例が続出している。また、軽度で入居しても、その後、痴呆が重度化したり、排せつなどの自立が難しくなってくると、退去を求められるケースも出ている。入居希望者や入居者が意に反した対応を受けても、法律制度上の違反がなければ、行政は介入できない。その法律には入居者の具体的な要件は記されていない。

 また、さらに付け加えるならば、厚生労働省がグループホーム入居者の対象として、痴呆の程度が軽度から中程度であり、ある程度自立できる方と定義づけている。この短い一文が、中程度以上の痴呆高齢者がグループホームから閉め出される一因をつくっている。

 しかし、これだけは強調しておかなければならない。痴呆高齢者とその家族、そして社会が求めているものは、安住のすみかである。元気で、仲間と一緒に料理や掃除ができるうちは安心といった、仮の住まいは、けして求めていないのである。サービスの基本は、それを利用する方が求めているものを提供することである。私は、このいたって単純、かつ普遍的な真理を大事にしていきたいと思っている。

(上毛新聞 2002年10月17日掲載)