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木工家 大野 修志さん(上野村新羽)

【略歴】北海道生まれ。千葉、東京での生活を経て89年に上野村へ。村森林組合銘木工芸センター勤務後、92年独立し「木まま工房」設立。県ウッドクラフト作家協会事務局長。村木工家協会副会長。

創造の森フェスタ


◎回を重ね仲間に「自信」

 今年も、季節は秋を迎え、紅葉が始まろうとする少し前のすがすがしい日々に、「創造の森 上野村フェスティバル」が開催されました。今年で四回を数えるこのフェスタですが、回を重ねてくるほど内容が充実し、とても面白いフェスティバルになりました。そもそもこのフェスティバルは、木工の里上野村で、木工に携わっていた人々が、個人単位で独立をし、そのときからお世話になっている上野村商工会が主催する事業なのです。上野村商工会では、会員である木工家たちの数が増えてきたことにより、村の地場産業の木工を中心に他の産業も含めた活性化を目指して同事業を始めました。私たち木工家は、このフェスティバルを開催してもらえることにより、大きな成果を得ることができました。

 それは、上野村木工家協会という団体をつくれたことです。今までは、木工家のあいだでもなかなか話をする機会もなく、お互いの仕事内容も理解できずにいたのですが、協会ができたことによりいろいろな話をし、それぞれの持っている情報や、技術的なノウハウまでも知ることができるようになり、仲間として強いまとまりが生まれてきたのです。さらには、みんなでフェスティバルをつくり上げていくなかで、村の地場産業の木工をこれからどのような形で盛り上げていこうかと考えるようになったのです。このことは、各木工家がいちばん不安に感じていたことでした。この村は、製作する環境は良いところだが、販売をして収入を得るには不利なところだと常々思っていました。それは、地形的に交通のアクセスが悪いために人が集まりにくい。また作品を販売するために遠くまで、出かけていっても経費がかかり過ぎてしまうといったようなことがあったのです。しかしフェスティバルに参加し、その会場のなかにさまざまな分野の木工が集う姿を見たときに、みんなの心に何かが生まれたのです。当初、フェスティバルをどう行うかを話していたとき、上野村は、山村なのだから、その山村をいかした展示にしようということになり、雰囲気の良い林を探し出し会場にしました。そして各人の作品が最も引き立つ場所に作品を展示したところ、どこにもないような、雰囲気のとても良い展示場になったのです。フェスティバルは必ず成功すると感じました。そして第一回を開催したところ、来場者にはかなりの好評を博したのです。みんなで考え、努力して頑張った答えがでた瞬間でした。先ほど、みんなの心に何かが生まれたと感じたのは、小さいけれどしっかりとした「自信」ではないかと思います。

 あれから四年間積み重ねたフェスティバルにより小さかった「自信」は大きくなりました。そして今年の「創造の森 上野村フェスティバル」は、最高の盛り上がりを見せ、来年へのより大きな希望を感じつつ終了したのです。

(上毛新聞 2002年10月18日掲載)