視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
安中音訳ボランティアグループ「かけはし」会長
山賀 英子さん
(安中市原市)

【略歴】安中高、早大卒。45年間市内英語塾で講師を務めたほか、私立・県立高校講師、豪・タスマニア州小学校日本語講師などを歴任。1999年に同グループの設立に参加、会長に就任。

加齢世代


◎美粧より微笑で生きる

 常にない早朝の目覚めだった。テレビ体操までに二時間余りもある。目覚めた後は眠れなくなった。その理由をウツウツと考えた。

 なぜ、こんなに早く目が覚めてしまったのだろう。前夜の電話に相違ない。新聞社からの電話だった。記事の依頼とともに顔写真が必要だという。

 書くことは苦にならないが、写真は苦手である。団体写真ならともかく、顔だけの写真は実力がもろに出るからである。

 十年以上も前になる。出身校の県の同窓会長に推された。男性を入れず、女子学生だけの会が珍しかったのか、時の顔としてある雑誌の表紙になった。メジャーでない雑誌とはいえ恐ろしい体験だった。

 その後、国税モニターを委嘱された時も、その期間中顔写真が税務署内に飾られたという。あとで知っておびえたものである。

 遠くは受験用、旅券用、就職、お見合い。すべての顔写真は極度に緊張し、ゆとりがない。

 天は二物を与えぬという。でも才色かねそなえた美人も多い。不惑の年が過ぎたら、自分の顔に責任を持てというではないか。まして古希をこえた今、どうしたらよいのだろう。

 目鼻立ちも整わず、色白でなし、緑の黒髪でもない私に、無邪気な良い娘だと言ったが、わが母は冷静に、ひそかに改善計画を実行していた。

 生れたままの顔に、べにかね(化粧)つけよ、とは言わなかったし、整形手術など、とんでもない時代だった。

 もっぱら他人に好意を持たれる表情を教えこまれた。横目、上目遣いを怖い顔になる、とたしなめられた。口をとがらせて、文句を言うなどもご法度であった。品性が疑がわれるような笑い方も、とがめられた。姿勢を正し、足を外に向けての歩行も嫌った。

 ロシアの文豪トルストイの母は少年時代の息子に「お前は決して美男子にはならぬだろう。だから一生懸命勉強しなさい」と教育したそうである。

 長じて、私はロシアに短い旅をした。還暦を過ぎていた。モスクワ川に沿った広大なホテルに泊まった。部屋の調度も大きかった。化粧室の広さや大きな鏡にも圧倒された。その大鏡に偶然映った自分自身の顔にさらに驚嘆した。日ごろ鏡に向かうくせのない私は顔の不具合さを忘れていた。

 大鏡に映ったのは大きな老女の醜悪な顔であった。目の下には薄黒いくまができていた。鼻からあごにかけて縦縞(しま)のしわがあった。母が他界し、追うように逝った弟との別れ。その半年後、がんの手術をした。ロシアの旅はそれらを忘れる再生の旅であった。

 半世紀も前の母からの教えを思い出した。悲しみから生まれた深いしわ。加齢と体力の衰えから生じた暗い顔の表情。皆、母の希望通り改善しなくてはならぬ。

 外見を明るく保つために、中身の充実をはからねばならない。心を豊かにするための修業にさらに励まなければならない。

 これからは目立たぬための薄化粧も必要不可欠であろう。否、顔の表情で勝負しよう。それは母の好む他人の心を温くする微笑で勝負しよう。向き合う人を和ませる自然なほほえみ。

 美粧よりも微笑で加齢世代を生き抜こう。

(上毛新聞 2002年11月6日掲載)