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あさひ小学校支援隊顧問 森尻 昆男さん(太田市東別所町)

【略歴】太田高卒。米国駐留軍で接客業に携わった後、1958年に群馬県警に入り、実家の都合で64年に退職。民間企業2社に勤務し、86年に退職。今年4月からあさひ小学校支援隊顧問に就任。

支援隊


◎パトロールから園芸へ

 長い間サラリーマン生活を続けていたころは、見向きもしなかった家庭菜園作業。それでも両親の実家が農業を営んでいた関係もあって、下地は多少あった。戦後間もないころ、少しでもわが家の食(しょく)べらしをすることによって、家計をやりくりしようとしたころが懐かしく、その時覚えた農機具の使い方が今日役に立っているようだ。

 ところで昨今は、専業農家でもせいぜい五―十キロのバレイショの種を植えている程度だが、わが家では毎年約二十キロも植えつけ、兄弟・姉妹に宅配便で送っている。スーパーで買った方が安上がりなのはわかっていても、心を込めて荷造りをし、十世帯ほど送った翌日の夜、一斉に「到着したョ」という電話が入ったりすると、絆(きずな)がまた太くなったようなことを自負し、自慢話となったりもする。

 このようにして春のかき菜にはじまり、夏のジャガイモ、秋のサツマイモとカキ、ここ十数年送り続けているが、数年前体調をくずして送れなかった時など、「兄貴、今年は病気でもしているのでは?」と宅配便を待っていてくれる兄弟たちから電話がかかったりして。今後も健康管理に努めながら一年でも長く、送り続けたいと願っている。また、畑作業の時など隣では今、なにを蒔(ま)き付けているのかとか、肥料はどうか、うちの野菜ののびはどうかとか、いつも隣の家の作業が気になる。土地の古老に尋ねると、「技術は先輩から盗め」「習うより慣れる」といろいろとアドバイスを受けたり、隣組の回覧板のように“教えられたり教えたり”を繰り返している。

 なんとか自分の作品を人さまに食べてもらえるようになった去年から、地元の旭小学校区に支援隊という組織が誕生した。二年ほど前、大阪の池田小学校で発生した幼い児童殺傷事件をきっかけに、いち早く立ち上がったパトロール隊。地元の有志・PTAが中心となって数十人、現在もなお各自持ち寄りの自転車に、遠方からでも目立つステッカーを張りつけ、児童の下校時を中心に地区内をくまなくパトロールしている。おかげで事件・事故ゼロとは、園田校長の弁。

 この春から、支援隊長の持田会長・野口・間々田顧問(東西矢島区長)を中心に、地元農家の協力を得て五百平方メートルの土地を無償で借り受け、園芸作業の分野にまで進出した。作業の主体は学区内の児童だが、課外授業の一環として有志が講師となり、ナス・キュウリ・サツマ苗八百本を植えつけた。週休二日制を活用しての草取り作業は毎週土曜日(午前九時―十時)に実施することになり、現在も継続している。

 十月十九日、待望の芋堀り大会を実施したところ、百数十人の参加者(先生・父母・児童・有志)が一堂に会して土の中から堀りあげた。その大半はおみやげとして父母・児童が持ち帰ったが、一部は十一月二日開催のバザーの一環として大学芋などで販売し、平成十五年度の旭小開校二十周年記念事業の資金として活用していくことに。

 今後も支援隊活動を続けるにあたり、来年度もまた課外授業として、持田会長・園田校長・PTAを中心に交流を深めてゆきたいと考えている。

(上毛新聞 2002年11月15日掲載)