視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
おおままおもちゃ図書館「もみの木」代表 渡辺 紀子さん(大間々町桐原)

【略歴】前橋文化服装学院(現・前橋文化服装専門学校)卒。洋裁教室を開く。大間々町の小中学校で特殊学級と図書館司書の補助員を9年間務める。1992年に「おおままおもちゃ図書館もみの木」を開設。

母の死


◎別れではなく心の中に

 この何年かは、親しい方のお父さまやお母さまの訃報(ふほう)に接することが多くなりました。ご家族はどれほど悲しくつらいことだろうと、お悔やみの言葉を探しながら、告別式に参列し、お見送りをさせていただいていました。

 そしてこの春、主人の母が八十六歳で亡くなりました。「百まで頑張るからね」が口癖の母でした。悲しみを通り越し、かなえてあげられなかったことばかりが次々と浮かび、悔やむ毎日でした。

 母の名の刻まれた墓標にお花を供え、母の立った台所に立ち、庭でつんだフキノトウやセリのてんぷらを揚げ、母の愛用の器に盛り、テーブルにのせた時に、元気だった母、少し気弱になった母が、何を思い、何を願っていたか、考えている私がいました。

 一言一言に反発したり、しぶしぶ納得したりと素直でない嫁は、母の目には寂しく映っていたことでしょう。それでも母は最期の日々何をしても「ありがとう」と。何を作っても「おいしいよ」と言ってくれました。今からなら、いいお嫁さんになれそうな気がします。と言っても、もう遅いのですが…。

 母の慈しんだ庭には、早春の日だまりに淡いピンクのカタクリの花が、一輪うつむいて咲いていました。梅の花の香りがあふれていました。「次々と花が咲いて、庭を見ているだけで楽しいよ」。ソファにもたれ、遠くを見るような優しい表情でぽつりと言った母の声。

 月命日を迎えるたびに、こぼれるようなユキヤナギ、クロマツの木陰一面のスズランの花、梅雨空を忘れさせてくれるストケシアの青紫、夏の夕暮れには、白いキキョウの花が涼風を運んでくれました。キンモクセイの花は香りと山のキノコの情報を…。父は御仏壇にイッポンシメジを誇らしげに供えていました。秋風にシュウメイギクの白い花びらが舞っています。種をまき、株分けをして育てた母に見てほしかったのでしょう。どの花もいつもよりたくさん咲きました。いつの間にか花瓶にさし供えている父。六十年間の思い出話は、これからゆっくりと聞かせてもらうことにします。

 ユズの実が少し黄色くなってきました。昨年、大騒ぎで実をつむ私と主人と娘に、目を細めながら「とげに気をつけてよ」と注意してくれた母の姿はありませんが、こう言うだろうなと思うだけで声が聞こえてくる気がします。あまり注意されないように、心配かけないようにしますね…お母さん。

 今まで私にとって「死」は「別れ」でした。けれど、母の死を受け止めたときから違う思いが生まれました。その人をしのぶたびに、より身近に感じることができ、「決して別れではなく心の中にいてくれる」という思いでした。「長寿のための食事の秘けつは?」と聞かれ、「季節の物を食べること」と、ご近所の人に話していた母。父の育てた野菜や果物を大切にし、大地の恵みに感謝して毎日を送っていた母に代わってカリン酒を漬けようと思います。のどの弱い私のために、母が漬けてくれたように…。

(上毛新聞 2002年11月18日掲載)