視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
桐生ふろしきの会会員 大槻 圓次さん(桐生市東)

【略歴】神戸高商卒。5年間の商社勤務の後、帰郷して家業の買い継ぎ商に携わって以来、4年前に佐啓産業を退社するまで、一貫して織物関連の現場で働いてきた。わたらせプロバスクラブ会員。

風呂敷


◎先人の知恵を感じる

 会合に出かける時、必要な品をなるべく風呂敷に包んでゆく毎日が日曜日の私だが、それは風呂敷が好きだからだ。織物の仕事にかかわって五十余年ということもあるが、どんなものでも包めて、使わない時はたたんでポケットにしまえる。用の美そのものの風呂敷に、先人の知恵をしみじみ感じている。

 多分どの家にも風呂敷はあるだろうが、なぜかほとんど使っている人は見当たらない。どうして、こんなに使われなくなったのだろうか。

 昭和四十(一九六五)年、私はニューヨークに何週間か商用で滞在した。買い物をすると、スーパーでも商店でも、茶色の紙袋の頭の部分を大きな手でクシャクシャに握って渡され、カルチャーショックを受けた。買った物をそのまま直接紙袋に入れて渡す習慣は、このころ日本ではまれだったからだ。

 しかし、瞬く間に日本中が紙袋になってしまい、恐ろしいほどのはんらんに至っている。やがて、ビニール袋のはんらんへと進む。

 塩化ビニール袋は公害に直結するということもあり、今使われているほとんどはポリエチレン袋で、このところレジ袋と名を変えた。簡易で便利で安価と思われ、膨大な量が作られ、使われ、やがて捨てられる。そして大量のごみとなり、有害物ともなるので、社会的コストは決して安いとはいえないのだが、依然はんらんは止まってはいない。

 数年前、桐生市主催の竹村昭彦先生(京都)のふろしき講座にいたく感銘して、その後「桐生ふろしきの会」を仲間と立ち上げた。

 そして、風呂敷を何とか日常で使ってもらうために、結び方、包み方を実演し、体験学習していただくよう、公民館や婦人会、国際交流のサークルなどに出前講座をやりだした。これは結構評判がよく、市内はもちろん、県内のあちこちから声がかかり、ここ二、三年は、他にやりたいこともあるのに、出前に忙しくなってしまった。当会員は女性が大多数だが、何しろボランティアのこと、全員打ちそろってとはなかなかいかないが、お互いに分担し合って出かけて行く。

 織物が誕生して以来、「布」は世界中で物を包んだり、背や頭上で運ぶ際に使われてきた。〈包み〉の字源は、母親の胎内に子どもが宿っている状態を示しているそうだが、正倉院御物には布包みが現存していて、大切なものを慈しんだことがうかがえる。

 風呂敷は文字通り、奈良・鎌倉・室町時代の蒸し風呂の際の敷物を意味し、また徳川家康遺品帳にも、正式に「風呂敷」と記されているようだ。そして、日本人の持ち前の繊細さと器用さによって、庶民の手の中で大きく開花した。結び方の多様さについては、世界的に類を見ない優れ物なのだ。

 今、われわれの目の前に山積している諸問題、例えば資源・地球環境問題、過剰包装やごみ処理、マイバッグ運動、そしてまた伝統文化を守る運動や、それを次代に伝える運動などは、われわれが日常的に風呂敷を使うことによって、ずいぶん解決が進む。忘れかけている宝物、風呂敷をぜひ好きになってください。

(上毛新聞 2002年11月24日掲載)