視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
おてんまの会会員 鷲田 晋さん(上野村楢原)

【略歴】愛知県生まれ。立命館大学産業社会学部卒。民間教育研修会社に12年間勤めた後、1999年、上野村にIターンし、観光業に従事。村の住民組織「おてんまの会」会員。

おてんまの会


◎小さな会が大きな活動

 東京から上野村にIターンして四度目の冬を迎える私は、現在仕事の傍ら、村の「おてんまの会」という民間ボランティアサークルに所属している。「おてんま」とは、村の言葉で「みんなの利益になることを自主的にみんなでする」といったような意味で、日常的にも「道路清掃のおてんま」というように使われている。「おてんまの会」は、「村の文化や自然・歴史を研究して、村の良さを再発見していく」ことに自主的に取り組んでいる、十五人ほどの小さい集まりである。

 しかしながら、この会は約三年間の月日をかけ、昨年の「国民文化祭ぐんま2001」で、村の生活文化をさまざまな形で紹介する「山里文化祭」を無事成功させた。それだけにとどまらず、その取り組みが村内外に注目され、小寺知事が来村し、皇太子殿下が出掛けられるという「おおごと」までに発展した。

 なぜ、こんなに注目されたのだろうか。その一つに、会の活動が「村の生え抜き」と「Uターン者」と「Iターン者」の三者で構成され、その三者が有機的に結合し、成果を挙げたからではないだろうか。それは、過疎で悩む地域の中で、三者がどのように結びつけばよいかという、一つの「指針」を示したのではないかと思う。

 うまく融合できた理由は、何よりもまず、「生え抜き」の人たちが「Iターン者」を「よそ者」扱いすることなく、平等に受け入れ、よそから来た者の意見に耳を傾けてくれたからである。

 次に、この三者がおのおのができることを上手に分担し、それぞれの得意分野で力を発揮したからである。村の人脈や村の流儀、村についての知識については、「生え抜き」の人たちが活躍する分野である。逆に「Iターン者」は、都会での経験を生かし、村外への情報発信や都会向けの広報を引き受けた。その二者の間でうまくバランスを取り、橋渡しの役割をしたのが、都会も農村も知っている「Uターン者」である。

 会の活動にあてはめると、「生え抜き」が持っている山里文化を、「Uターン者」が「Iターン者」にわかりやすく翻訳して伝える。「Iターン者」は、それを評価し、価値を見つけ出し、「生え抜き」にフィードバックする。「生え抜き」は「Iターン者」の一言で、「自分たちが当たり前のこと」が「希少」であり、「素晴らしいこと」であることに気づかされ、新たな発見をする。そんな繰り返しの中で、村の良さが再発見される。

 現在、過疎問題が深刻化していく中で、過疎で悩む地域ではIターンを受け入れなければ、自治が成立していかないが、Iターンがなかなか定着せず悩んでいるところが多いと聞く。しかしながら、「おてんまの会」のような三者の有機的結合が、さまざまな地域でできれば、Iターン定着の問題も、過疎化の問題も解決できるのではないだろうか。そのためには、「生え抜き」は「Iターン者」の意見に耳を傾け、よい意見はどんどん取り込んでいただきたい。同時に、「Iターン者」は村の良さをもっと村の内外にアピールしていくことが、まずスタートではないかと思う。

(上毛新聞 2002年11月28日掲載)