視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
主婦 岡本 優子さん(箕郷町柏木沢)

【略歴】渋川女子高卒。一昨年、地元の人たちによる一演劇「蚕影様物語」で国民文化祭の自主企画事業に参加。昨春は「貰い祝儀」を地元の人たちの手で再現し、映像に残すことに参加した。

鎮守の杜の祭り


◎継承したい心の文化

 昨年十一月三日、真昼時、県庁議会庁舎前の広場。ひときわ大きく和太鼓の音が響きわたります。それは「ぐんま文化の日」の鎮守の杜(もり)の祭りの緞帳(どんちょう)が上がったのです。和太鼓、獅子舞、抜刀道、南京玉簾(すだれ)、腹話術、手品、剣舞、民謡の調べ、音楽のつどい、易者さん、文化屋台、箕輪茶屋、そして野外劇『きつねの嫁入り』と、二日間を総勢五百人からなる風景と記憶の再生は、それはそれはにぎにぎしくも幻想的に広場を彩ってくれたのでした。

 年齢や男女を問わず、誰でもが文化の担い手となれるということばに引かれて、不安でしたが、「結果は失敗でもいいんですよ」という力強い励ましに勇気づけられて、怖いもの知らずの私は有頂天になって友人、知人に「ぐんま文化の日にぜひ参加しませんか」と呼びかけたのでした。

 昨日の再生、タイムトンネルの世界へ、里山文化、中高年の遊び心を表現などなど、昭和庁舎や群馬会館に何度行って会議や打ち合わせをしたことでしょうか。他のグループとの調整をする中で鎮守の杜の祭りという場をつくってみようということになったのです。

 大上段に構えるならば、かつて鎮守の杜は地域にあって神と人とのつながりを深め、五穀豊穣(ほうじょう)を願い、悪疫退散を祈願したりと、わが国独特の精神文化の高揚にはなくてはならないものでした。鎮守様のお祭りといえば、誰でもが心をかき立てられお祭りの輪の中に入っていきたくなるのでした。幟(のぼり)が立ち、境内や空き地には露天商や大道芸などの見世物が並び、多種多様な人間模様が映し出されるその光景は、日本人の心の文化の一面を凝縮したもので、大衆的な中にも芸術性もあり、私たちの子どもや未来へ伝えていきたい大切なものです。時代とともにあり方は少しずつ変わっていくかもしれませんが、親から受け継いだ心の文化を消してはいけないと思うのです。

 この日私は『きつねの嫁入り』のキャストの人と同じきつねのメークをしてもらい、紋付き袴(はかま)のいでたちで「さあさあ! 皆さん! ご用とお急ぎでない方は寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!」と大きな声でお客さまの呼び込みをしようと気負っていました。

 ところがいざ、広場に出てみると情けないかな恥ずかしいのです。どうしても大きなパフォーマンスはできなくて、あちこちで知っている人に会うと「鎮守様見に来てね」と、きつねのメークで驚かせるのが精いっぱいでした。初めての野外劇、素人ばかりの集まり、どうしようと思っていました。前日のリハーサル、とても寒い中、みんな歯を食いしばって頑張る。明日はどんなことがあっても成功させるんだと心に決めて帰る。本番、やはりすごく寒い。でも皆の顔はと見ると、やる気満々。「人は力なり」と思う。自分も奮い立つ。無事に終わり、やればできるという実感が胸にこみあげてきて「ほんとうにありがとう」とうれしさをかみしめました。

 それにしても期せずして県庁に現われた忠治親分ときつねたちは、知事さんに世直しをお願いしてくれたのでしょうか。

(上毛新聞 2003年1月6日掲載)