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日本児童文学者協会理事長 木暮 正夫さん(東京都東久留米市)

【略歴】1939年、前橋市生まれ、前橋商業高校卒。『また七ぎつね自転車にのる』で赤い鳥文学賞受賞。郷里に題材を得た作品に『時計は生きていた』『焼きまんじゅう屋一代記』『きつねの九郎治』などがある。

伝承の唄


◎ライブラリー化を図れ

 「権兵衛(ごんべ)が種まきゃ…」という俗謡がある。私も子どものころ、どこの土地の唄(うた)かも知らずに口ずさんだ。昔の農民の愚直さをやゆした唄かと思ってきたが、お角ちがいだった。

 権兵衛は三重県の海山町(みやまちょう)に実在した江戸時代前期の篤農家で、本名を上村(うえむら)権兵衛といった。俗謡はかれが鴉(からす)にも情をかけ、腹をへらした鴉に食べられることを承知で麦の種をまき続けたさまを唄ったもの。それを近年、取材の旅の途上で知った。

 一地方の特定の地域で生まれたこの俗謡が、マスメディアのない時代にどのように全国へ流布していったかは不明だが、よくぞひろまったものだと感心してしまう。

 それはさておき、「種まき権兵衛」のようなはやし唄をはじめ、私が子どもだった半世紀以上昔には、伝承されてきた遊びと唄とが、セットのかたちで存在していた。遊びと唄の一体化があたり前でもあった。

 その中には、「かごめかごめ」や「花いちもんめ」や、「今年の牡丹(ぼたん)はよい牡丹」や、「かいぐりかいぐりとっとの目」、「あんたがたどこさ」、「一番初めは一の宮」など“全国区”の唄が多かったことは確かだが、県内のある特定地域だけに唄いつがれてきた「わらべ唄」や「俗謡」もあった。

 たとえば、「分福茶釜(かま)に 毛がはえた 剃刀(かみそり)持ってこい 剃(そ)ってやるぞ 早くおっぱなせ 競争だ!」というあやとり唄は、他県では聞いたことがない。県内でも、東毛の唄であって、北毛や西毛には分布がないかもしれない。さらに地域をせばめていえば、私が生まれ育ったのは前橋駅にほど近い片貝町(現在は本町)だったが、こんな俗謡があった。

 「お正月 三日の日、大師さまのおまつりで おばさん所へ行ったらば、芋煮て つん出した かぶ煮て つん出した もっとおくれといったらば 目口あいて にぃらんだ」

 三日の大師のまつりとは、市の北部にある竜蔵寺町の「青柳大師」の縁日で、戦後はかなりの賑(にぎ)わいだった。小学生の私は近所の友達と鼻みずをたらしながら、四キロはあろう道のりを、エンドレスでこの唄を唱和しつつ、歩いて往復したものである。

 子どもたちの遊びも野外から屋内中心で、その道具も電子音がピコピコするものに変わってしまった今、群馬ならではの伝承性のある唄は、消滅を目前にしている。地域が育(はぐ)くんできた桑つみ唄や機織り唄や子守唄は高齢者の記憶の奥に、無用にしまい込まれてしまっている。それらの唄は、単なる郷愁?
 いや、とんでもない。今のうちに残しておかなければ永久に失われてしまう、郷土の心と暮らしを伝える無形の文化財産なのである。

 県や市町村がNHKや群馬テレビや、各地のケーブルテレビ等の機関とタイアップするかたちで、音声や映像によるライブラリー化を図れないものだろうか。今ならまだ間に合うが、二十年後にはもう、いくら残したくとも手遅れになること必定である。

(上毛新聞 2003年1月10日掲載)