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利根沼田森林管理署長 井上 康之さん(沼田市鍛冶町)

【略歴】九州大学農学部卒。1987年、林野庁に入庁。北海道夕張営林署担当区主任、JICA専門家としてタイ王室林野局勤務、環境庁自然保護局生物多様性条約担当などを歴任。

国有林の活用方法


◎国民参加で見いだそう

 利根沼田の近代林業は、明治時代、足尾銅山の資材として利用するため利根村の山を切り開いたときに始まる。わが国で初めて、米国から輸入した索道(空中ケーブル)が大々的に張り巡らされ、モミ、カンバ、ミズナラなどの大木が皇海山の尾根筋を越えて足尾に運ばれたという。後にはカラマツが一斉に植林され、今、樹齢九十年を超える大木が山奥深くそびえ立っている。

 昭和の初期には、沼田市の玉原国有林のブナ林が伐採され、玉原ダムの湖底を縦走していた森林鉄道で運び出された。当時、択伐(利用できる木を抜き切る方式)による伐採は珍しく、著名な先生による指導を受け、約三本に一本を切る形で実行されたという。その後、半世紀以上を経て、残された木は成長しブナの天然林はほぼ回復した。現在の玉原高原を見て、斧(おの)が入った山と思う人はほとんどいない。

 戦後、エネルギー革命により薪(まき)が必要とされなくなる一方で、建築などに適する材のニーズが高まり、身近な雑木林は一斉にスギ、カラマツなどの人工林に変えられていった。当管内でも、先に紹介した利根村のカラマツ地帯を除いて、ほとんどの人工林がこのとき植えられたもので、一人前になるためには今しばらく間伐などの手入れを要する。

 昭和四十年代以降、森林のレクリエーションとしての利用が高まり、バブル期にかけて多くのスキー場が開設された。利根沼田地域も十八のスキー場があり、このうち十三カ所が国有林内にある。スキーブームのピークは過ぎ去ったが、スノーボードがこれを引き継ぎ、今なおにぎわいを見せている。

 昭和六十年ごろには、行き過ぎた開発への反動で、自然保護ブームがあった。知床、白神国有林などでは、一切の伐採を許さない、完全な保護運動が展開された。これを機に国有林でも「森林生態系保護地域」が設定され、手を加えない保全管理手法が確立された。当管内でも水上町の奥利根源流部がこの地域に指定され、開発は厳しく制限されている。

 森林の活用方法は時代とともに変化してきた。賛否はともあれ、スギ、カラマツの人工林、ブナの美林、スキー場など、われわれは先代からの財産を引き継いできている。

 昨秋、沼田青年会議所の講演会で、「グラウンドワーク」の実践について勉強させていただいた。講師の伊貝氏(グラウンドワーク東海会長)によれば、この定義を「住民、行政、企業の三者がパートナーシップを組み、それぞれが知恵を出し、汗をかいて地域の身近な環境(グラウンド)を整備・改善する運動(ワーク)のことである」としている。

 国有林もここに規定するグラウンドそのものであり、この概念は国有林の運営手法をずばり提案しているようにも思える。ある人は、森林の癒やしを求めてブナなどの広葉樹林を増やすべきだと言う。またある人は、再生産可能な資源である木材に夢を託して、人工林の持続的な生育が必要だと言う。言うだけではなくやってみよう。国有林の多様な活用方法を「国民参加の森づくり」によって見いだしていくことが求められている。

(上毛新聞 2003年1月18日掲載)