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前橋工科大教授 樫野 紀元さん(さいたま市高鼻町)

【略歴】大阪府生まれ。東京大工学部助手を経て、国土交通省建築研究所入所。同研究部長を務め、2001年4月から前橋工科大工学研究科教授。著書に「日本の住宅を救え」などがある。

感銘を与えるもの


◎原点は心を込めてなす

 日本のガウディといわれる梵寿綱(ぼん・じゅこう)さんの設計による老人ホームでは、奇跡が起こりました。ホームに入った車いすの人がその日から歩き始めた、本態性高血圧の人は血圧が平常になった…。実際にこのようなことが起こったのです。

 梵さんは基礎や躯体(くたい)工事は建設会社に任せるそうですが、内部の仕上げなどは組織の職人さんたちに頼まないそうです。どのような形にするか図面にも描かず、やる気のある素人の学生などを探してきて、ここはぎざぎざに仕上げて、ここは彫刻してなどと指示するだけで、あとは彼らに仕事を任せるそうです。学生たちは建築の現場を自分たちの作品を発表する場(自己発現の場)と認識し、完成させるために集中し熱中して作業します。そして見事な(梵さんによれば情報量が多い)空間がつくり上げられます。そこに秘められたエネルギーを居住者が知らず受け取り奇跡が起きたと解釈しています。

 小沢征爾さんの音楽は人に感銘を与えずにはおきません。あふれる才能に加え、彼は指揮する作品を新しい五線紙に書き写すなどの努力を惜しまないそうです。音符と音符の間に作曲者の意図や精神を読みとるためとのことです。そして演奏家たちと綿密な打ち合わせを繰り返します。小沢さんは今でも年に幾度かは、日本の地方都市へ演奏旅行に出かけます。聴衆が十数人しかいないような過疎の村へも、数十人の演奏家を引き連れて行き、決して手を抜かずに演奏するそうです。

 どのようなものに人は親近感や信頼感をもつか、以前、私は建築材料を対象の中心として官能検査をしたことがあります。その結果、自然界からもってきたもの、加工の度合いの大きなもの、化学的な安定度が高いものに対し人は親近感をもつことがわかりました。木は約七十年かけ、石は数万年かけて自然界がつくり上げます。このようなものを用いて十分に手を掛けて造った作品が人に感銘を与えることもわかりました。藍(あい)染めや漆細工など日本の伝統工芸も、西欧の芸術家たちに大きな影響を与えました。

 この官能検査でわかったのですが、十分な調合計画や型枠計画、打設計画を行い、試し練り、十分な締め固め、硬化具合の検査、養生管理などをきちんと行って造られたコンクリート構造物は人に安心感を与えます。旧丸ビルはかなり軟らかいコンクリートを使ったそうですが、このようにきちんと造られていたので、解体されなければ百年以上の耐用が可能であったと考えられます。

 これからはものも芸術も、本物志向がより一般になるでしょう。より良いものを選んで手に入れ、それを長期間にわたって大切に使う。諸事、本来の姿へもどる、現在はその転換期かもしれません。一つのパラダイムの変革です。

 何ごとによらず、心を込めてなすことが原点と思います。提供する側もそれにより、一層満足度が高まるのです。特にテレビやラジオの番組、週刊誌の記事を提供する方たちに、このことをより深く認識していただきたいと思います。

(上毛新聞 2003年2月3日掲載)