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山田かまち水彩デッサン美術館館長 広瀬 毅郎さん(高崎市片岡町)

【略歴】学習院大卒。東京銀座で画廊修業の後、高崎に広瀬画廊を開く。1992年に山田かまち水彩デッサン美術館、98年、滋賀県に建築家、安藤忠雄さん設計の織田廣喜ミュージアムを開館する。

中米からの手紙



◎着実に自分の夢を実現

 かまち美術館にいると若い人が、絵描きになりたい、漫画家として成功したい、服飾デザイナーになりたいなどと夢を話してゆきます。彼らの話を聞いていて、自分の好きな仕事で一生を送りたいという思いはわかるのですが、目標が漠然としていて具体性に欠けているなと思われることがよくあります。

 そんな時、十年前、かまち美術館の開館直後に長野県小諸市から来た甘利直子さんが、ゆっくり着実に自分の夢を実現していった話をしてあげています。

 彼女は当時二十一歳で保育園の保母さんをしていましたが、短大時代から一番したいと思っていた仕事は人形芝居の劇団に入り俳優として日本中を公演し、その後海外公演をしてみたいということでした。「かまちに背中を押されました。今日から私は変わります」。そう言って帰ってから、彼女が一歩前進するたびに報告の手紙が来るようになりました。

 「両親と話し合って、東京の劇団を受験し人形芝居の道へ行くことを理解してもらいました。園長さんにも話しました」「人形劇団プークの下見をしてきました。事務の人に会って試験のことも聞いてきました」「ピアノの実力が不安なので近所の先生に個人レッスンをたのみました。声楽の勉強も始めました」「今日はうれしい報告です。プークの演技部に合格しました。来月から東京ぐらしです」「プーク三年生、ついに主役を演じることになりました。“ぼくのおじさん”の子象のボクの役です。以前あこがれていた役者さんたちと一緒の舞台で、まんなかに自分がいるなんて感激です」「旅班になりました。いよいよ全国巡回公演です」

 高崎の文化会館で“エルマーと16ぴきのりゅう”の公演の時は私と女房を招待してくれました。

 次は昨年と今年の正月に届いた手紙です。

 「二○○二年、明けましておめでとうございます。実は私、青年海外協力隊に受かりまして今、駒ケ根の訓練所におります。四月から二年間中米ホンデュラスへ幼稚園教諭として派遣されることになりました。精いっぱいがんばってまいります」

 「二○○三年 元日 コモ エスタ ウステ?(ごきげんいかがですか?)館長 ホンデュラスに来て九カ月が過ぎました。私は今、初等教育改善プロジェクトの一員として任地であるグイノペ村にいます。道は舗装されておらず、車よりもロバ・牛・犬・ニワトリが通り、道の両脇にはバナナの木とコーヒーの木が植えられています。幼稚園は四・五歳児混合で五十人います。施設、教材条件も悪いのですが子供たちはとても明るく元気! そして親切、家の手伝いをいっぱいしています。私の手作りの人形芝居ですが、子供たちには大ウケです。首都はテグシガルパ、通貨はレンピラ、時差は日本より十五時間遅れです。また手紙書きます。おからだ大切に」

(上毛新聞 2003年2月20日掲載)