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安中音訳ボランティアグループ「かけはし」会長
山賀 英子さん
(安中市原市)

【略歴】安中高、早大卒。45年間市内英語塾で講師を務めたほか、私立・県立高校講師、豪・タスマニア州小学校日本語講師などを歴任。1999年に同グループの設立に参加、会長に就任。

女はダメ!



◎忘れられないあの一言

 七昔にもなるだろうか。古いアルバムには、緊張した両親の結婚写真に次いで、長女の私の幾葉かのスナップが張ってある。

 父に抱かれたお宮参り。ひな段のそばに正座した母のひざの上の私。中でも印象深いのは七つの祝い。役者のように白塗りにされた顔。ぽっくりに振りそで姿。髪に大きなリボン。学齢前の子どもながら、この時の記憶は明瞭(りょう)である。父に連れられ、ハイヤーで父の生家を訪ねた。

 車の到着を待って伯父の家族、蔵の人たち、お勝手の女衆。それに、近所の老若男女、子どもたち…。「まるで、お嫁さんみたいだ」とだれかが言ったのを聞いて、天にも昇る心地になった。女の子の最初の晴れの日を、娘のいない伯父夫婦は盛大に祝ってくれたのだった。

 子どものころは、よく親の実家に「お客に行く」と、泊まりがけで行ったものだ。夏休みには母の家で大半を、常の休みは隣村の父の家で過した。

 父の生家は造り酒屋で、朝起きると朗々とした酒屋もんの歌が耳に入る。半裸の肌から湯気が上がり、大勢でくるくる回りながら働いていた。勝手元では女衆が彼らの朝食の用意に忙しく、どこにも活気があった。

 造りの季節の昼下がりだったか、本にも遊びにも飽きた少年たちが酒蔵に入っていった。オルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクのように私もその群れとともに勇み入った。途端、雷鳴のような罵声(ばせい)が頭上に落ちた。「女はダメ!」。男の子たちはがやがや、うれしそうに入っていった。私の二人の弟ですら許されて薄暗い蔵の奥に消えた。

 女の子なるが故に拒否された理不尽。あの悔しさは忘れない。あの声は伯父ではなかった。杜氏(とうじ)の親方さんの声でもなかった。新入りの酒屋もんの誰かだったか。つまみ出された高慢な女の子は、行き場がなかった。酒蔵から遠く離れた庭隅か、干してあった大きな酒だるの陰か、人目を逃れて小さくなっていた。

 両親からでさえ、大声でしかられたことがなかった女の子に、理由不鮮明な罵倒(ばとう)は許せなかった。涙が止めどなく流れた。声をころしても、涙は押し止めることができなかった。一生の大半の涙を流したような気がする。男の子たちの喧(けん)騒は去り、日はとっぷりと暮れていた。伯母とお勝手の竹ちゃんによって見つけられ、夕食の膳(ぜん)につかせられた。

 女は不浄なるが故に、酒蔵には当主夫人の伯母さえも入室禁止の時代だった。だが、涙でほおがこわばった感触と屈辱は、その後の生き方を変えていった。「女だてらに」という冷笑にも屈せぬ強い人間になる道を模索した。女性から人間に変身する努力の連続だった。が、時代は好転した。現在は女杜氏も奇異ではない。すべての職場に女性の進出が目覚しい。

 「あの一言」は今の私の原点になった。

(上毛新聞 2003年2月28日掲載)