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おおままおもちゃ図書館「もみの木」代表 渡辺 紀子さん(大間々町桐原)

【略歴】前橋文化服装学院(現・前橋文化服装専門学校)卒。洋裁教室を開く。大間々町の小中学校で特殊学級と図書館司書の補助員を9年間務める。1992年に「おおままおもちゃ図書館もみの木」を開設。

特殊学級補助員



◎すばらしい経験の月日

 「どうしてこの子は、この教室にいるの?」。一緒に入学した一年生は、不思議そうに聞きます。私の答えは「少しだけにが手なことがあるからね。みんなもにが手なことあるでしょう。だからゆっくりと、この教室でお勉強するの」。

 この答えは、適当ではないかもしれません。でも子どもたちは、うなずいてくれました。

 このころ、特殊学級に対し、他の学級は、普通学級と呼ばれていました(主に学校の中で)。私はとても悲しい思いでこの呼び方を受け止め、心の中で反発していました。この教室の子どもたちは、普通ではないのかしら…。では、普通ということはどういうことなのだろうか…。この学級のお母さんたちは、皆、入学にあたり、普通学級ではなく、あるいは他の学校をすすめられ、大変つらい思いをし悩み抜いて、それでも小学校だけでも地域の子どもたちと一緒の世界で学ぶことを希望し、入学の許可を得たと聞いています。

 私が小学生のころは、ハンディをもったお友達も同じ教室で一緒に勉強していました。時々はトラブルもありましたが、何をするのも一緒があたり前でした。特別も普通もなく歩くのが遅い子に皆が歩調を合わせることが自然にできていたと思います。今思い返すと心のバリアフリーがそこにはあったと思います。

 私の母も特殊学級の担任をしていました。母に挨拶(あいさつ)をすると「子どもが特学と思われるから…」と知らんふりをするお母さん。そして、私が手をつないで行進すると、「特学の子と思われて、お母さんが気にするから…」と気遣う先生。差別を生んでいるのは大人。子どもたちは、休み時間になると「一緒にあそぼう!!」と呼びに来てくれているのに…。

 学年が進むにつれて、先生方の理解と同級生の仲間意識も深まり、学級の子どもたちも少しずつ落ち着いて、別のメニューもありましたが、ほとんどの行事に参加できるようになりました。五年生の時には、東毛少年自然の家での宿泊訓練、六年生の時には、鎌倉への修学旅行、運動会のダンスや組み立て体操もお友達のリードで、最後まで一緒に生き生きとした表情で参加できました。可能性を引き出してくれたのは、仲間として認めいつも声をかけてくれた同級生。そして、この学級の子どもたちは、同級生の心の中にやさしさと思いやりを生んだはずです。

 六歳から十二歳までの多感な子ども時代に、ハンディをもった友達とふれあえたことは大人になってきっと生きるはずです。同じ風の吹く大地で駆け回った思い出があったなら、周りの人を大切にし、一生懸命努力しようとする若者になると信じています。

 今、あまりにも自分中心の若者が多いことに不安を感じます。そんな若者を心配しながらも強くしかれない、私たち大人の責任も同時に強く感じています。

 私の特殊学級補助員の期間は七年間でした。子どもたちの闊達(かったつ)さに驚いたり、やさしさに涙したりの月日でした。けれど本来あるべき子どもの姿や、子どもさんへのお母さんの思い、教育現場での先生方の情熱に、一主婦・一母であった私が、すばらしい経験をさせていただいた月日でもありました。

(上毛新聞 2003年3月5日掲載)