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元中学校教員 高橋 義夫さん(松井田町行田)

【略歴】国士館短大卒。1957年に松井田町立臼井中学校教員となり、以来35年間同町周辺の中学校で生徒指導に取り組む。91年に指導の記録をまとめた著書「中三の君らと」を出版した。

さよならは言わない



◎生きた証し残した少女

 平成十五年二月十日。私は夭(よう)逝の少女の葬儀に参加しました。

 少女真麻(まあさ)さんは心臓に重度の疾患をもって生まれてきたのだそうです。この世に生をうけたその日から、彼女の闘病生活が始まったのです。そして、ご両親の懸命な愛に抱かれて十五年の人生を生きぬいていったのです。

 学校まで歩いて通うことができず、登下校はお母さんが十五年間、毎日送り迎えしていたそうです。

 でも、学校生活は小学校の時から、自分に可能な限り自分でやろうと、頑張りつづけたそうです。二階から三階の教室へ移動の時などは、先生や友だちが助けようとしても、ゆっくりと階段を上がり、踊り場で呼吸をととのえて、休んでから三階の教室までたどり着いていたそうです。その努力は小学生の時からだそうです。

 心臓に重度の障害をかかえて、一日一日を精いっぱい生きてきた彼女は、友だちの前ではつとめて明るく振る舞っていたそうです。

 校長先生の弔辞に「真麻さんが必死に頑張って生きてきた姿は、同級生の皆さんの心に言い知れぬ尊いものを残してくれました」と読まれていました。

 また、生徒の代表の弔辞では、「彼女の夢は将来は音楽の勉強をして、世話になったみんなに恩返しをしたい。そう言って笑った彼女の笑顔が忘れられない」と、ここまで読まれた時、読んでいた彼女も聞いている女生徒たちも、悲しみに耐えきれず、斎場にあふれるすすり泣きの声が起こりました。また、男子生徒は、鼻みずとなって出る涙を二本の指でつまんでいました。そして、大人の参列者のなかには眼鏡をはずして、ハンカチで涙をぬぐい取っている人もいました。

 そうして、弔辞の最後の言葉は「あんなに高校へ行きたがっていたのに―。願書の提出の日が真麻ちゃんのお葬式の日になってしまった。でも、私はさよならは言わないよ。なぜって、本当に強かった真麻ちゃんの笑顔は、いつまでも私の心のなかに生きつづけるから」でした。

 同級生たちに強烈な印象を残していった真麻さんの十五年間はまさに闘病の生涯だったのだと思われます。

 特に病弱な体で、健康な仲間たちと一緒に生きてきた彼女の心の内はどうだったのでしょう。おそらく彼女の心には、誰にも知らさなかった悲しさや苦しみがあったと思われます。

 同級生が弔辞の中で真麻ちゃんは強かったと言っています。彼女は体は弱かったけれど、心は本当に強くて清らかだったのだと思わずにはいられません。そして彼女には、自分の体の弱さを乗り越える何か不思議な力が備わっていたのかもしれません。

 彼女は十五年間の生涯を駆け抜けるように逝ってしまったが、彼女の心は平凡な私たちが思うほど悲しくなかったのかもしれません。

 家族の愛と同級生や学校の先生方のあたたかな心を感じながら、彼女は一人の人間として、みごとに生きた証しを残していったのだと思いました。

(上毛新聞 2003年3月8日掲載)